グスタフ・マーラー Gustav Mahler (1860-1911)
[注記]2014年7月以降の記事はこちらのBlog版をご覧ください。以下の記事もブログ化してありますが、リンクが切れたり表が見づらい場合があるため、その場合には以下のアーカイブをご利用ください。
- 資料
- 作品
- 楽譜・文献
- 録音
- 生涯についての覚書(未完のまま中断)
- 人物像
- 雑記帳
- はじめに:マーラーについて、私は一体何をしようというのか?
- おわりに
- バルビローリのマーラーを聴く
- バルビローリのマーラー
- 第9交響曲(1964.1.10,11,14,18,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)
- 第9交響曲(1960.11, トリノ・イタリア放送管弦楽団)
- 第9交響曲(1962.12.8, ニューヨーク・フィルハーモニック)
- 第7交響曲(1960,BBCノーザン交響楽団・ハレ管弦楽団)
- 第6交響曲(1967,ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)
- 第6交響曲(1966.1.13,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)
- 第6交響曲(1967.8.16, ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)
- 第5交響曲(1969,ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)
- 第1交響曲(1957,ハレ管弦楽団)
- 第1交響曲(1959.1.10, ニューヨーク・フィルハーモニック)
- 第2交響曲(1970.4,シュトゥットガルト放送交響楽団)
- 第2交響曲(1965,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)
- 第3交響曲(1969.5.3,ハレ管弦楽団)
- 第3交響曲(1969.3.8,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)
- 第4交響曲(1967.1,BBC交響楽団)
- 歌曲集(ベイカー(MS),ハレ管弦楽団/フィルハーモニア管弦楽団)
- 大地の歌(1952.4.2,ルイス(Tn),フェリアー(A),ハレ管弦楽団)
- バルビローリとの出会い
- バルビローリを聴くことをめぐる幾つかの視点
- バルビローリの演奏スタイルについてのコメント
- 「ジャクリーヌ・デュプレの思い出」の中のバルビローリ
- リンク
- 略歴
- アドルノのマーラー論における第4交響曲への言及について
- 覚書「「大地の歌」における"Erde"を巡る検討のための覚書―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて―」
- 覚書(2)「「大地の歌」第1楽章の詩の改変をめぐって―甲斐貴也訳「大地の歌」によせて(2)―」
- 調査レポート「花の章とゼッキンゲンのラッパ手を巡って―林邦之さんに―」
- 調査レポート(2)「ドロミテのマーラーの足跡を辿る―林邦之さんに―」
- 私のマーラー受容(1)はじめに
- 私のマーラー受容(2)交響曲
- 私のマーラー受容(3)カンタータ・歌曲
- マーラーの音楽の構造についてのメモ
- 雑文集
- 「はじめに」の撤回された異稿(2005年11月版)
- ヴェーベルンからみたマーラー(2002.4)
- マーラーを何故聴くのか(2006.9)
- マーラーに近づくために(2006.9未定稿)
- マーラーの音楽の特性を巡る覚書(2006.9)
- マーラーと永遠性についてのメモ(2005.7/2007.12)
- マーラーを聴くこととはどういうことか(2005.8/2007.6.14)
- マーラーに対する懐疑(2004.12/2007.12)
- 古典としてのマーラー(2006.10/2007.7)
- カルロ・マリア・ジュリーニのこと(2003年9月1日初稿、2007.1.11修正, 7.9改稿)
- クルト・ザンデルリンクのこと(2002.4初稿, 2007.7.9改稿)
- ヘルベルト・ケーゲルのこと (2003.9.20初稿,9.29, 2005.1.16,18,19,22, 9.9, 2007.7.9,19, 8.16改稿)
- 「意識の音楽」素描(2008.9.27)
- マーラーの音楽の「自伝的性格」について(2008.9.13)
- 近藤譲を通して見たマーラー(2006.4 / 2008.6)
- 喪の作業とマーラー(2008.6.4)
- マーラーの音楽の「非論理性」について(2008.5.18)
- ある日、第8交響曲第2部を聴いて(2008.4.26/27)
- 身辺雑記、あるいは「はじめに」の余白に(未定稿)
- 「意識の音楽」への準備(未定稿)
- 戦前のマーラー演奏の記録を聴く(2009.5.31/9.26)
- 今更、どうしてマーラーなのか(2009.5.24)
- メンゲルベルクの第4交響曲演奏を聴いて(2009.5.23/12.3)
- 事実はどうであったのか?―楽譜の改訂経緯について調べてみて(2009.4.30)
- 第7交響曲の内的プログラムは破綻しているか?(2009.4.12)
- 「大地の歌」は交響曲ではないのか(2010.10.17)
- 戦前の日本におけるマーラー受容との断絶(2010.6.27)
- ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第8回定期演奏会を聴いて(2010.6.20)
- マーラーの「詩と真実」(2010.6.6)
- マーラーの本棚(2010.5.29/30)
- ある写真についての備忘(2010.4.18/25)
- マーラーを聴くことの難しさ(2010.1.11/14)
- 「生きるという甘美な習慣」(2011.4.29/30, 5.2/8)
- マーラーの「サウンドスケープ」(2011.5.29)
- マーラーの「音楽」(2011.6.11~14)
- 「私は故郷に、私の居場所に向かう」("Ich wandle nach der Heimat, meiner Stätte")(2011.7.3)
- 主観性の擁護について:「ラ・フォル・ジュルネオ・ジャポン2012」公式ガイドブックにおけるマーラーに対する言及を読んで(2012.4.30)
- マーラーの行進曲の印象(2012.5.1)
- マーラーの音楽の不可逆性について(2012.5.2)
- マーラーの音楽における時間性のアナクロニスム(2012.5.5)
- ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第9回定期演奏会を聴いて(2012.6.30)
- マーラーにおける「対話」についての素描(2012.10.30)
- 自己組織化システムとしての交響曲についてのメモ(2012.11.11)
- 「パルジファル」から「子午線」へと過ぎ越す「応答」(2012.12.15)
- 「狂気の西洋音楽史」におけるマーラーに関する言及について(2013.3.3, 5.1, 9.14)
- 音楽が未来を予言する?(2013.4.23)
- 音楽を一人きりで聴くこと(2013.4.23)
- 音の身ぶりの変形とモンタージュ(2013.4.23)
- マーラーの音楽が私に語ること(2013.4.28, 5.3,12,21)
- マーラーの音楽の未完了性について(2013.5.18)
- マーラーとドストエフスキー(1):「カラマーゾフの兄弟」について(2013.7.7)
- マーラーとドストエフスキー(2):「白痴」について(2013.7.7)
- ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第10回定期演奏会を聴いて(2013.7.13)
- マーラーの音楽の時間性についてのメモ(2014.2.16)
- ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第11回定期演奏会を聴いて(2014.6.16)
- 仮想の移動性をもった視線によるマーラー巡礼(2014.7.11)
- 備忘(1):マーラーに関するメモがおいてあります。
- 備忘(2):マーラーに関するメモがおいてあります。
- 備忘(3):マーラーに関するメモがおいてあります。
- 備忘(4):マーラーに関するメモがおいてあります。
- 備忘(5):マーラーに関するメモがおいてあります。
- 備忘(6):マーラーに関するメモがおいてあります。
リンク
TOP
アーカイブトップへ戻る
(c)YOJIBEE 2002--2014