グスタフ・マーラー Gustav Mahler (1860-1911)・人物像(1)語録


フリッツ・レーア宛1885年1月1日付けカッセル発の書簡にある「ゼッキンゲンのラッパ手」についての言葉(1924年版書簡集原書23番, p.33。1979年版のマルトナーによる英語版では29番, p.81)
(...)
Meine "Trompetermusik" ist in Mannheim aufgeführt worden und wird demnächst in Wiesbaden und Karlsruhe aufgeführt werden. Alles natürlich ohne das geringste Zutun von meiner Seite. Denn Du weißt, wie wenig mich gerade dieses Werk in Anspruch nimmt.(...)

この手紙をここに引いたのは「ゼッキンゲンのラッパ手」の再演に関する言葉が含まれるためだが、実はこの新年に書かれた手紙は「さすらう若者の歌」の 創作に関連して引用されることの方が遙かに多い。実際、この手紙の主題はそちらにあって、引用した部分はまるで「ついで」のように触れられているに 過ぎないのだ。というわけで、上記の引用の前後に記述されている「さすらう若者の歌」に関係する部分は、別の機会に是非紹介したい。
ここでは半年前には「大変に満足」していた筈の「ゼッキンゲンのラッパ手」に対する冷めた態度が印象的だが、それが「さすらう若者の歌」創作にまつわる 状況と心境の変化とともに語られていることが私には興味深く感じられる。それでもマーラーはこの後交響詩「巨人」において一旦は、その両者を「引用」する。 最終的には第1交響曲に改訂する際に「花の章」を削除することで、「ゼッキンゲンのラッパ手」を抹殺してしまうのであるが。
なお、言及されているマンハイム、ヴィースバーデン、カールスルーエのうち再演が確認されているのは、ラ・グランジュによればカールスルーエのみとのことである。 ちなみに英語版書簡集には、カールスルーエでの演奏の予告が収録されている。それによれば日付は1885年6月5日なのだが、これはラ・グランジュの1973年の 英語版の記述(6月6日)とも、フランス語版第1巻の記述(6月16日)とも一致しない。後者は恐らく誤植だろうが、前者もまた、その可能性がある。 ラ・グランジュが上演を確認した資料がマルトナーが書簡集で紹介した演奏予告とは別のものなのかどうか確認する術がないので、誤植なのか 予告より遅れて上演されたのかは判断できない。ラ・グランジュの著作は大部なせいか、この類の誤植は少なくなく、資料として使おうとすると 他の文献との矛盾が見つかることがしばしばで厄介である。(2007.12.26)



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