グスタフ・マーラー Gustav Mahler (1860-1911)・作品覚書(16)子供の魔法の角笛


子供の魔法の角笛

マーラーの音楽は主観的であり、自己の感情、世界観、死生観その他もろもろのある時は誇大妄想的な、 ある時は感傷的で自己憐憫に溺れた表明である、というのはしばしばマーラーの音楽が鼻持ちならない ナルシスティックなものとして拒絶されるときの決まり文句に近い。そしてそれは勿論、一面において全く 間違っているというわけでもなかろう。音楽には色々あるから、マーラーの音楽とはおよそ懸け離れた、 ある次元において対極にあるような音楽は幾らでもあるだろうし、それらと比較した時に、マーラーの 音楽が上記のように規定されるのは致し方ない。幾ら強がって否定してみようとしたところで、 それには限界というものがある。どんなに逆立ちしたところで超えることの出来ない閾が存在する。

だがその一方で、マーラーの作品の中でも「子供の魔法の角笛」に作曲された歌曲を聴くとき、 人は些かはぐらかされたような、取り留めのない印象を覚えるのではなかろうか。それは、 「子供の死の歌」や「大地の歌」とは異なって、ほとんど主観的な色合いを欠いている。 様式的には歌詞もろとも「子供の魔法の角笛」の世界に近接する「さすらう若者の歌」ですら、 ぐっと主観的で個人的なドラマであり、そこには「私」がいるのは確かなことに感じられる。

それに比べて、「子供の魔法の角笛」の世界は何と客観的なことか。勿論、歌詞の上で 「私」が語り、歌う音楽はあるけれど、それは作者との同一視を拒む距離感をはっきりと 感じさせる。「少年鼓手」のような作品すら、作者ならぬ「私」への作者の眼差しが 感じられる。明らかにそこには客観性があるし、醒めた視線、意識の存在がある。

主題にしてもそうだ。「子供の魔法の角笛」にはしばしば軍隊が、兵士が登場するが、 マーラーは少年時代に兵営を間近した生活を送ったに違いないとはいうものの、 総じてマーラーが生きた時代は大きな戦争のない、平和な時代だった。してみれば 戦争を知らない作曲家が書いた戦争を素材とした音楽を戦争を知らない聞き手が 受け取るという奇妙な状況が存在していることになる。例えばクセナキスとショスタコーヴィチは 勿論、ヴェーベルンもラヴェルも戦争とは無縁ではあり得なかったし、その作品には 様々な仕方で戦争の影が映り込んでいるのを感じずにはいられないが、マーラーの 場合にはそうした事情は見受けられない。要するに「子供の魔法の角笛」の歌詞は、 マーラーがある時はっきりと語ったと伝えられる通り、そこに彫刻が掘り出される原石、 素材の方に近く、決して作品の内容、主題といったものではないのだ。

だが、「子供の魔法の角笛」の性格に関しては、100年後の日本人は愚か、同じ文化的 伝統に属する、更に言えばマーラーに遙かに近い世代の人間ですら、ややもすれば見解が 分裂するようだ。それを証言する事例を一つだけあげれば、アドルノのマーラー論の第3章で Gebrochenheitについて論じるところ(p.195)で、In den Gedichten, mit denen Mahlers Musik sich durchtränkte, denen des Wunderhorns, waren Mittelalter und deutsche Renaissance selber schon Derivate (...)と述べたり、あるいはよりはっきりと第4章で歌曲について言及するところ(p.223)で、 リヒャルト・シュペヒトの「子供の魔法の角笛」の管弦楽伴奏版に対するコメントを引き合いに出しつつ、 以下のように述べていることが挙げられよう。

Er (=Richard Specht) schreckt nicht vor der Behauptung zurück: » In frühren Jahrhunderten mag man in Marktflecken, unter Soldaten, Hirten, Landleuten so gesungen haben « , (...) während doch jene Künste nicht nur die Wiedergabe auf Messen und Märkten ausschließen, die es ohnehin nichr mehr gibt, sondern dem Begriff des Volkslieds ins Gesicht schlagen.

これについていえば、そもそも「子供の魔法の角笛」というアンソロジーそのものが、これはしばしばあることだが、 アルニム=ブレンターノによる介入を受け、変形された「まがいもの」めいたところがあるらしいことも併せて 考えるべきだろうが、いずれにしても、マーラーの態度が、一方では自分が属していた世界、ドイツロマン派の 主観的な抒情詩系譜からみれば外部であるボヘミヤの民俗的世界に根ざしつつ、他方でそれに対する 距離感をはっきりと意識することにより、叙事的な語りとそれに対する注釈、世界と主体の関係の様相 そのものたりえていることは確かなことに思われる。してみれば、「子供の魔法の角笛」歌曲集は、マーラーを ドイツロマン派の末裔と見做す不当な単純化に対して異議申し立てを行う位置にあることになろう。

こうした微妙な距離感が、100年後の異邦の地に住む人間にどうしてわかるのか、それはそうした知識から 逆に音楽の聴き方を決める倒錯ではないか、という批判が考えられるが、実際「子供の魔法の角笛」 歌曲集に親しめば、少なくともこの歌曲集の民謡調は、いわゆるロマン派の主観的叙情とは懸け離れている こと(だから、ロマン派歌曲が好きな人の多くにとって、マーラーは寧ろとっつきにくい存在なのだ)、そして 他方では理由は何であれ、民謡に対してもはっきりとした距離感があり、民謡への擬態のような側面があることは はっきりとしてくる。その頂点は恐らく、「子供の魔法の角笛」への付曲の掉尾を飾る「起床合図」や「少年鼓手」と いった、もはや民謡調からは懸け離れた作品だろう。単純に旋律や動機が交響曲と連関しているという 以上に、これらの歌曲はその「語り物」的な性格により、その客観性により交響曲に限りなく接近するのである。 「無言歌」というのが、主観的・叙情的な歌曲とのアナロジーによって成り立っているとしたら、マーラーの 純粋器楽による「交響曲」は、「子供の魔法の角笛」歌曲集のような「語り物」とのアナロジーで成り立っている と言いうるかも知れない。 (2008.10.21 この項続く。)

形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの。管弦楽版による。)
歩哨の夜の歌第1節「行進曲風に」112B
第2節「少しよりゆっくりと」1330
第3節「テンポI」3145
第4節「少しよりゆっくりと」4662
第5節「テンポI」6391-g-B
第6節「ゆっくりと、ひきずることなく」92107
骨折り損のくたびれ儲け前奏「ゆったりと、陽気に」16A
第1の対話739
第2の対話「テンポI」4073
第3の対話「テンポI」74112
運の悪いときの慰めっこ前奏「大胆に、常にもっとも含蓄あるリズムで」112A
第1節1323fis
リフレイン2435e-h
第2節3645f-
間奏4653A
第3節「嘆くように(パロディを伴って)」5461C
第4節6269
リフレイン7077
間奏7885-fis
第5節86102D-A
この歌をこしらえたの だあれ前奏「陽気に楽しく」112F
第1節A1346
第2節B「ゆったりと」4768A-Des
第3節A6997F
この世の生前奏「不気味な動きで」16es
第1節741-B-b
第2節4274es-B-b
第3節75136es-B-es-b
魚に説教するパドヴァの聖アントニウス前奏「のんびりと、ユーモアを伴って」18c
第1節928
第2節2948
間奏「ユーモアを伴って」4963
第3,4節6487-C
間奏「パロディを伴って」88108-c-F
第5,6節109132
第7節133148c-G
間奏「ユーモアを伴って」149158c
第8節159176
第9節177197
ラインの伝説前奏「ゆったりと」116A
第1,2節1732-E
間奏3339
第3節4049A
第4節5057
間奏5870-D-F
第5,6節7190a-E
間奏9194-A
第7節95106
第8節107114
後奏115120
塔に囚われ迫害うけるものの歌第1節「激しく、強情に110d
第2節1128G
第3節2938d
第4節3964B
第5節6577C
第6節7898F
第7節99110d
美しい喇叭の鳴り響くところ前奏「夢見るように、静かに」120d
第1節前半2139
第1節後半、第2節4071D
第3節「冒頭のように」~「落ち着いて」721222d-Ges-h
間奏123129
第4節130162D
第5節163186d
後奏187192
お高い良識 褒める歌前奏「大胆に」19D
第1節1025
間奏2635
第2節3656
第3節5787d-D
第4節88103
第5節104129
レヴェルゲ(死んだ鼓手)前奏「行進して、連綿と」17d
第1節817
第2節1829
第3節「表情を伴って」3047B
間奏4856G
第4節「表情を伴って」5772
第5節7289D-d
間奏8994-es
第6節「非常に強く」95108
第7節109127-fis
間奏~「はっきりと抑えて」~「冒頭より少し荘重に」128153-d
第8節154171
少年鼓笛兵前奏「荘重に、虚ろに」18d
第1節932
第2節3358-g
第3節5977d-g
間奏~「はっきりと遅くして」78110-c
第4節111126C/c
第5節127161
後奏162171c


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(2008年2月作成)