この一節、人によっては(もしかしたらほとんどの人は)気に留めずに読み飛ばしてしまうかも知れない手紙の書き出しの部分が、私にとっては最初にこの書簡を読んだ30年以上も前から 不思議と心を捉えて離さないものなのだ。理由ははっきりしている。「ばらばらになった私の内的自我の破片をざっとかき集め(うまく集められるようになるまで何日かかるだろう?)」(酒田健一訳)の 部分が私にはとてもしっくりきたからなのだ。要するにマーラーのこの言い回しが自分にもしばしば起きる状況の実感を見事に言い当てているように感じられたのだ。そしてそれは今でも同じである。 否、寧ろ今なら多分、かつてよりももっとマーラーが置かれた状態をうまく想像ができるような気がする。
一体、年端も行かない中学生かそこらの子供にそんな感覚がわかるものかという言い分には私は同意できない。それは子供の時分の状況を忘れてしまったからだとしか思えない。現在の私のように 目も回るような多忙の中、食事の時間すら満足に取れない、日によっては全く取れないような時間に追われた状況の中で、同時に幾つもの、しかもそれぞれにそれなりに気を遣わなければ ならないような作業を並列に、状況の変化に応じて自分の側のコンテキスト・スイッチを切替つつ対応するようなことを延々続けていると、己がばらばらの破片になってしまって、我に返って 何かをしようとした時に、まさにマーラーが記述したような状況に自分がいることに気付くのはしばしばだが、ではそうした時の感覚というものが全く未知のものかと言えばそんなことはない。 それはかつても味わったことのある感覚、子供の時以来、繰り返し繰り返し味わう感覚なのだ。子供の時には子供なりの限界の中で、でもその中に無自覚にいる本人にとっては 傍から見れば滑稽に見える程の深刻さをもって受け止められたに違いない。否、傍から見れば滑稽なのは今でも同じで、私がむきになればなるほど、傍から見れば何を肩肘張って 深刻そうにやっているんだ。もっと楽しく、気楽にやればいいじゃないかと一蹴されるに違いなく、だが私にはどうすることもできないものなのである。そして、「何かをしよう」のその「何か」の方はといえば、 私を断片化する「世の成り行き」の価値観においては無に等しいこと、例えばこうした文章を綴ることでも構わないのであって、実際問題としてこんな作業でもちっぽけな自己をかき集めなければ やれはしない。こんなものを書くのに数時間の時間を費やすのは或る種の価値観からすれば無意味で愚かなことに違いない。だが私は、ここでもやはり、そうせずにはいられないし、そもそも、 ばらばらになった内的自我の破片を集めるために、こうして書いているという側面すらあるかも知れないのである。
勿論今の私は、子供の頃の忙しさなど物の数ではないということが身に沁みてわかっているし、その一方でマーラーの多忙というのが私など及びもつかない苛酷なものであることは マーラーの伝記を紐解けば直ちにわかることであって、マーラーが主観的にはどうであれ、客観的にはいわば「楽長の道楽」なり副業として行った作曲の営みの質の高さは想像を絶する。 自ら生活の糧を得ることに汲々とする必要のなかった作曲家達と違い、マーラーはまずは生きるために稼ぐことを優先しなくてはならなかったタイプの作曲家で、そうした人たちは例外なく、 時間に追われながら、わずかな時間を自分の「無益」かもしれなかった営みに振り向け続けたのだ。勿論彼は、勤め人としての有能さの分だけは「世の成り行き」の 中でも生き生きと仕事をしたであろうし、傍から見れば寧ろそちらが彼の本領であると見做す人が大勢を占めたとしても不思議はない程の成果も挙げた。 だが、だからといって不和が帳消しになるわけでもなく、適応不全が無かったことになるわけでもない。彼が溜め込んだストレスの大きさや、彼が蒙った傷の深さは彼の有能さ、 彼の挙げた成果の大きさとはとりあえず関係ない。子供の頃は恐らく無意識に感じ取って共感していたであろうそうしたストレスの影や傷の痕跡がマーラーの音楽の中に はっきりと刻印されているのを今やはっきりと感じることができる。
今日企業で管理職などやれば、目標管理をやらされ、自分のメンタル・コンディションに関してすらポジティブ・シンキングとやらを押し付けられ、部下に対してはコーチングといった接し方の規範が与えられ、 といった具合に「有能」であるための処方なり規範なりがあり、それらへの忠実さをもって「有能さ」を測定されることを余儀なくされるわけだが(そしてそういう規範に照らせば、例えばこのような入れ子の多くて やたらにセンテンスが長く、従属節を幾つも従えたような文章を書く人間は「無能」呼ばわりされるわけである)、上司に対しては慇懃無礼、部下に対しては暴君で、思いやりの心に欠けているわけではなくても、 自分にばかりかまけるあまり、他人の内面には最後の部分で無関心だった彼、人並み以上の集中力と引き換えに放心癖をもち、過剰な「内面」としぶとい「内的自我」を持ち、内向的で傷つきやすい 悲観主義者だったマーラーは、一方では心理を読むのに長け、現実の条件の中で最大の成果を挙げる判断力を備えていたにも関わらず、 そういう規範に対しては全くそぐわないタイプの人間だったように見える。報酬の分に見合っているかどうかの判断は人それぞれで、悪意ある人の手に係れば、余分な「内的自我」を抱え、「道楽」に割く時間を 確保することに執着し続けるような人間は常に既に職務怠慢なのだろうし、個人主義者は「度し難い自己中心性」の廉で常に指弾され、批難される。 「それは私の能力には余る」などと言おうものなら、それは愚痴なのか、それとも白旗なのかと強い口調で迫られ、そうかと思えば「自分の要求をすべてやる必要はない」と嘯かれる。 彼が常に上司と衝突していたわけではなく、そういう意味ではもっと非妥協的である意味では「世の成り行き」に背を向けた人間達の中で育ったアルマが驚きをもって書いているように、 「成り上がり者のユダヤ人」マーラーは、「柔軟な膝」も持ち合わせていたし、それでは上司の方はろくでもない人間であったかといえば決してそんなことはなく、 ビジネスマンとしてはマーラーなんか及びもつかないほどの「やり手」であったり、頭脳明晰で極めて有能な官僚であったりしたわけで、要するにどちらが悪いというのは立場によって全く異なる判断になるに違いないのだ。
マーラーの有能さは、そういう意味では何か「おまけ」、余禄のようなものに近い。つまり彼の真の適性は別のところにあり、彼(の「内的自我」)が目指していたのはもっと別の何かであったのだけれども、 それを彼の埋め込まれた職場の規範なり目標なりに合致させることが出来るだけの器用さを持ち合わせていたということに過ぎない。その合致はエフェメールなものに過ぎず、 ちょっとしたことで見せかけの和解は綻んで、葛藤が生じるということが繰り返されたのは、これまたマーラーの伝記に記録されている通りである。 集中力と精神力の強靭さが身体の状態を上回るのが常であった彼は、自分の限界を超えてやってしまいそうになって、どこで止めようかその都度迷った違いなく、 だけれども時々やり過ぎてダウンしてしまうということを繰り返したのだろう。 記録にはそんなことは残っていないが、きっと折々「こんな仕事辞めてやる」と内心毒づいたことだって一再ならずあったに違いないし、そんなことは職場では言えないに決まっているが、 内心では「今度はここまでで止めておこうかどうしようか」と思案していたに違いないのだ。そういう意味では書簡集すら、それが他人に、しかるべき目的をもって宛てられたものであるが故に、内心の 吐露とは言いがたく、その中では全てではないにしても相対的には、妻に宛てた手紙は最も「構えた」ところがない場合が多く、有名な「ファウスト」終幕の解釈の手紙などを一方の極端として、 もう一方の極である日常の平凡な記述に過ぎない上記の手紙なども割りと素直に本音が出ているような気がする。
だが結局、マーラーにとってそうした鬱憤の「はけ口」は音楽を書くことだったに違いない。 音楽によって世界を構築することは、日頃の世の成り行きに対する反逆という側面が必ずやあったに違いないのだ。第3交響曲のフィナーレにちなんでマーラーが言及した「主よ私の傷を見てください」という 言葉は、マーラーにとって切実な響きをもったものであったに違いない。天使と格闘するヤコブ(「私は天国に行きたいのだ」)、反逆者ファウストの贖罪と復活の物語に曲をつけずにはいられなかった 彼の心情は、「世の成り行き」の中で「ばらばらになった私の内的自我の破片をざっと」(なぜなら彼には時間がないから)「かき集め」て新しい身体を獲得することへの絶望的なまでに切実な願いに 満ちていたに違いない。それは「世の成り行き」とは別の場所を、別の価値の秩序に支配された世界への憧憬を孕んでいて、素材としての世界観の方ではなく(それが作品の価値を担保すること などありえない)、音楽に刻み付けられたその衝動のベクトル性の深さが人を惹きつけて止まないのだ。
しかも彼は、端的に「世の成り行き」の外に出ることの不可能性をはっきりと認識していた。だから彼の音楽は端的に「別の世界」の構築になることはなく、寧ろそこには時折「世の成り行き」があからさまに 映り込むことがあって、しかもその程度たるやアドルノをして「攻撃者との同一化」といった精神分析学的な言い回しによる批判をさせずにおかなかったほどなのである。だが私はこの点では、 アドルノに与しない。百歩譲ってアドルノの主張の正当性を認めた上で、だが結局あなたにはマーラーの気持ちはわかるまい、とアドルノに対して言ってみたい気がするくらいである。 こんなことを言ってみても始まらないのは百も承知で、裕福なブルジョワの家に生まれ、何不自由なく育ったアドルノには、「女行商人の孫」(とアドルノはマーラーのことを指す言い方をして用いている)の 気持ちなど結局のところわからないのではないか。経済的に何不自由なく「内的自我」に浸っていられた良家の子弟達や、音楽を書くことを「内的自我」などと関わらせることなく、仕事として 突き放すことができた職人的な作曲家達は勿論のこと、時代のせいもあって自分の理想とは異なる現実に曝され、その無慈悲な暴力の前に為す術もなく、そのギャップに「内的自我」が悲鳴を あげた挙句の果てに現実の戦場から病気の戦場に退却して、「世の成り行き」から背を向けて無人の高山に逼塞するほかなかった貴族出身のひよわなお坊ちゃんのヴェーベルンよりも、あるいは 若い時期には放蕩に身を持ち崩すことができ、文無しの友人を金策に奔走させ、結局は国家の支給する年金によって妻の名を冠した家に隠棲して暮らすことができた医者の息子のシベリウスよりも、 一見聖なる「愚者」に見え、現実に深く傷つき、時に神経を病みながらも、生活の糧を得るために自分の時間のほとんどを費やさざるをえない中で倦む事無く「無益な営み」に取り組み続ける 雑草のようなしたたかさを備えていたという点において、その他の点では共通点がなくとも、フランクやブルックナーといった作曲家たちの方がマーラーに遥かに近いとさえ言えるのではないか。
それは自分で作った檻から出ようとしないだけではないかという批判に対しては、自在に檻から出れる(と思っている、そして自分はそうできていると思いなしている)人間にはマーラーの音楽は 結局不要なのだから、どうぞお好きにされるがよかろう、と言いたい。そういう「円満な」「聡明な」「有能な」「人格者」、にはマーラーの音楽は勿論、カフカだってヘルダーリンだって、「カラマーゾフの兄弟」や 「ドン・キホーテ」だって不要だろうし、おしなべて「哲学」など無用の長物なのだろう。そうであれば結局言葉は通じず、コミュニケーションは成立しないのだ。 開き直りと採られても構わないが、それが愚かさの側につくことになったとしても仕方ない。私はそういうマーラーに共感しているのだし、そうした愚かさから産み出された音楽が好きなのだ。
そんな音楽は聴きたくない、それならいっそ音楽は寧ろ純粋な気晴らしであるべきではないか、それはえもいわれぬ「無為な楽しみ」であるべきではないか、あるいは無人の森林や湖水の風景、 限りなく主観が希薄化して、ほとんど客観的な秩序のみが支配しているかのような音楽を聴けばいいのではないか、という主張があることも否定はしない。だが私が欲しいのは気晴らしや娯楽ではないのだ。 私にとって必要なのは、まさに「ばらばらになった私の内的自我の破片をざっとかき集め」ることで、寧ろ自我なり主観性なりを擁護するタイプの音楽、しかも無自覚に、無反省に、無媒介に 主観的なのではなく、寧ろ、そうした主観の働きが反映しているようなタイプの音楽こそが必要なのだ。マーラーの音楽から意識を消去することはできない。希薄になったり、解体しかかったり といったことはあるけれど、それは人によっては鬱陶しいと感じられる程に自意識の現われがあからさまだが、見方を変えれば、人はそんなに簡単に自我とか自意識とかから自由に なれるわけではない。それを監獄のようなものと見做す立場を認めたとして、だがその監獄から逃れることはできない。もう一度、「監獄にはもしかしたら鍵などついていなくて、外に出ることだって原理的には 可能ではないのか」と人は言うかも知れない。だがその辺の消息はマーラーにはわかっていたに違いない。「意志と表象としての世界」や「純粋理性批判」を読みこなせる人にそれがわからない筈はあるまい。 あるいは「ファウスト」の終幕の場にあの音楽をつけ、その後で「大地の歌」や第9交響曲、第10交響曲を書いた人がそれをわからなかった筈はないと私には思える。空を飛べると思っただけで 実際に空を飛べるほど「世の成り行き」はやわではないのだ。霧のかかったようなアナロジーで物理法則を音楽化したなどと嘯くことのできた自信家のスクリャービンとは異なって、 批判的な知性を備えていたマーラーは、自分が「移ろいゆくもの」の側に属していること、少なくとも自分のままでは永遠に与ることができないことを認識していた。 そして翻って、価値観の違いによる机の叩き合いにおいて、その場で勝利を収めるのは常に「世の成り行き」の側である。「世の成り行き」の外は端的に「ない」のだから、所詮勝ち目はない。 だから「内的自我」なり「自意識」なりは逼塞して、誰のものでもない何かを作り上げ、壜に詰めて流すという無益な営みによって秘めやかな復讐を試みるほかない。 そして復讐の成否は当人には原理的にわからない。マーラーが復讐に成功したことを知るのは、何かの偶然で壜を拾って、その価値を認めた私達でしかない。その一方で私は証人として、 復讐の成功を宣しなくてはならない。
夢想することを止められない現実主義者、現実と折り合いをつけようとしつつ、だが現実に自分を合わせることは拒絶する個人主義者、有能な職業人として、余人の及ばぬ成果を挙げながら、 同時に敗北者のバラードを歌うことができた余所者、、、そして休暇の初日、モードの切替がうまくできずに「ばらばらになった私の内的自我の破片をざっとかき集め (うまく集められるようになるまで何日かかるだろう?)」と呟く男。そのように生き、このような音楽を遺した人間がいるということに、比較に足らぬほど凡庸で卑小な私ですら勇気付けられる気がするし、 その音楽を聴くことによってやっと「自分」が取り戻せるのである。 こんな人間のこんな音楽がどうして過去の遺物、芸術の殿堂とやらに陳列された骨董でありえよう。今日が彼の時代なのかどうかなど私にはどうでもいい。彼が生きた時代がどんな時代であったかも副次的な 問題でしかない。私にとって彼は必要な存在だし、何よりもまず遺された音楽によって、そして上記のような語録によって、彼は今、私の内側にいるのだ。(2010.7.4)
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