マーラーの作品は同時代には必ずしも順調に受容されたわけではなかったというのは良く知られたことであって、それが「いつか私の時代はくる」という、奇妙に 独り歩きした感のあるあの言葉の背景をなしているのもまた確かなことなのだが、それでもウィーンの歌劇場監督として時代の中心人物となって以降のマーラーには 熱心でしかも非常に高度な理解力を備え、自らも生産的たりえた支持者達に恵まれたこともまた、確かなことだと思われる。そして今日の評価はおくとして、 その早すぎた晩年に訪れた第8交響曲初演の成功は、マーラーの同時代における位置づけを揺ぎ無いものとした。
だがそれは後の話であって、上に掲げた1896年時点でのマーラーには知るべくもないことだった。ここで扱われている1896年3月16日のベルリンコンサートというのは、 「さすらう若者の歌」管弦楽伴奏版の初演、第1交響曲の4楽章版(正しくは2部5楽章からなる交響詩ではなく、第1交響曲「として」)の初演、 更に後に第2交響曲の第1楽章となった交響詩「葬礼」の演奏という極めて重要なイヴェントである。指揮をしたのはマーラー自身であった。
歴史的な意義をおいてしまっても、今日からみればこれは大変な注目を浴びてよさそうなプログラムであり、調べたことはないが、恐らくこのプログラムを復活させる 試みというのは必ずや企画されているに違いない。だが、それは今日の評価を先取りした錯覚で、切符の売れ行きは非常に悪く、かろうじてほぼ客席を埋めていた 聴衆の多くは無料で聴いたらしい。客観的な評価はともかく、主観的にはマーラーにとってこのコンサートはフィアスコであったようで、そのコンサートが終わった後、 ナターリエ・バウアー=レヒナーに対して語ったマーラーの言葉が上掲のものなのである。
マーラーが落胆した理由が何なのか、本当のところはわからないというべきだろう。ナターリエ・バウアー=レヒナーの証言によれば、コンサートは別段スキャンダルに なったわけでもないし、歌曲の1曲はアンコールを求められたらしいし、翌日にはコンサート・エージェントとともに好意的な批評家なども集まり、「信奉者」たちが レストランに集まったりもしたという記述がある。ニキシュは部分的であれマーラーの作品を指揮することを約束した。状況は「客観的には」破滅的とは程遠いようにも 見える。
だが有能な歌劇場監督であったマーラーは、そのコンサートが経済的には破滅的な赤字であり、興行としてはお話にならないことを認識していただろうし、 そうした出費を今後も続けることができないことを認識していたに違いない。歌劇場監督としてのマーラーのサラリーは(後のアメリカでの「法外な」契約と比べたら 相対的には慎ましいものかも知れなくても)相当なものであったはずである。マーラーの妹・弟達もそうだが、マーラー自身もいわゆる倹約家ではなかった のもまた確かなようだが、だからといって、誰かに「たかって」資金を引き出そうと策を弄することはしなかった彼にとって、経済的には「道楽」に過ぎない (と無関心な他人には見えたに違いない)自作の演奏に莫大な費用をかけることには限界があると認識していたのは間違いなかろう。 こういう言い方は芸術に経済的なものを超越した価値を認める立場からすれば些か不謹慎なのかも知れないが、何よりマーラー自身の言葉が 非常に現実的なトーンを帯びているのだから仕方ない。そして私はそうしたマーラーの姿勢に寧ろ共感を覚えるし、上記の言葉を言ったマーラーの 気持ちの重苦しさも(私にはそんな「浪費」をするだけの作品の持ち合わせがないので、実感はできなくても)想像することはできるように思える。 マーラー流のというべきか、ある種のバランス感覚のようなものすら読み取れる気がするのである。
それにしても、マーラーの落胆ぶりは痛ましい。マーラーにとって自分の作品が演奏され、受容されることは、経済的な損得を超えてなお、重要なことだったのだ。 仮にこのコンサートが経済的な利害得失と無関係であったとしたら、マーラーは平静であったかといえば、そんなはずはない。 「理解される」こと、「共感される」ことがマーラーには重要だったのだ。今日、評価の定まったマーラーについて何かを言っても所詮は後だしジャンケンになって しまうかも知れない。だが同じようなかたちで経済的な制約を受けつつも、経済的な損得を超えてその作品(とその人)について調べ、共感し、理解しようと 努めずにはいられない人間が、1世紀後の異郷に居ることが全くの無でないことを祈らずにはいられない。ナターリエ・バウアー=レヒナーのマーラーに対する 信頼と共感が無でなかったのは確かだろうが、同時代で身近に接することができた人間に比べて、未来の異邦人のおかれた立場は遙かに分が悪い。 そう、所詮は価値の経済においてこれは無益でマーラーその人には何ら寄与しないのだろうとは思う。それでもそう祈らずにはいられないし、共感と理解への 努力を放棄しようとは思わない。それと同時に、現代の日本にもいる、マーラーのように「神の衣を織る」ことができる人間になら、同時代人として身近に 接することができるのであれば、そちらはそちらでまた、自分の為すべきことがある筈だし、それを為さねばならないということを改めて確認しもするのである。 (2009.2.8)
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