グスタフ・マーラー Gustav Mahler (1860-1911)・所蔵楽譜


所蔵楽譜

[注意]音楽之友社より出版されているポケットスコアの一部はマーラー協会全集版によるものだが、すべてではない。(特に歌曲は協会全集の 刊行が遅れており、最近ようやく出たものもあるので協会全集とは異なる。)。 「改訂版」「決定版」という言い方は、第一義的には同一出版社から出ている以前の版との区別が目的であり、マーラー自身の改訂作業の 反映という意味ではないようだ。(もっとも以下に見るように、一見した限りではよくわからないものもある。ご存知の方がいらっしゃったら是非 ご教示いただきたい。)
また、マーラー協会全集はその後も改訂を続けているので、最新の協会全集と同じであるとは限らない(交響曲は「再」改訂がすでに行われている ものが多い)。最新の協会全集についての情報は、国際マーラー協会のページを参照のこと。 「再」改訂には、―これは改訂後の「声明」のかたちで出されたのだが―第6交響曲の中間楽章配置に関するエルヴィン・ラッツの校訂の否定をはじめ、 インパクトがあるものもある一方で、当然のことではあるが最新の改訂版の判断が「常により妥当」とは限らない―少なくとも首を傾げる判断が ないわけではない。また、第10交響曲に対する扱いも含めて、マーラー協会全集版の―つまるところ当時にあってはラッツの方針に対する異議も比較的 早くから存在していることにも留意すべきである。(クック他の第10交響曲「実用版」の作成や、レートリヒの校訂方針など。) 一方で、ラッツ後の マーラー協会全集の方針もまた変わってきていて、それはラッツのいわゆる「決定稿=最終稿主義」とでもいうべき姿勢が奇妙な結果を生んだ「嘆きの歌」の 本来の姿である初稿の刊行や、第1交響曲の初期形態などに対する姿勢に現われている。(私個人の評価はまた別の話で、マーラー協会全集の方針や、 学問としての「音楽学」の観点からの「あるべき」論―これはこれでとても大切なことで、これ無しには以下に述べるような「選り好み」の前提自体が 成り立たない―とは別に、全ての形態に「等しい」価値を認めるという姿勢をところ構わず適用することにもまた、留保をつけたい気持ちを持っている。 要するにある形態の価値は、それこそケース・バイ・ケースで個別に判断していくしかないし、「作曲者自身の意思」についても、無条件に墨守すべきとは 思わないが、あたかもそれがなかったかのように無視してしまうのもどうかと思う。)

一方Doverの楽譜は権利の切れた古い版のリプリントであり、全集版で見られる改訂が反映されていない箇所が確認できる。ただし、 第1交響曲や第2交響曲についてはDoverの主張にも関わらず、それぞれの初版(第1交響曲は1899年、第2交響曲は1897年の版)のリプリントでは ないし、第3交響曲は逆にUniversalに権利が移動した後の改訂版ではなく、Weinbergerの1898年の初版であるというのが私の認識である。さらに 第5交響曲は1904年の初版ではなく、恐らくは1919年の改訂版ではないかと思われる。 Dover版を使われる方に注意を喚起しておきたい。

またEulenburg版は近年全音楽譜出版より第1,4,6交響曲が入手できるようになったが、上でも触れたレートリヒが校訂した版であり、その校訂方針の 是非はおくとしても、版の問題についての記述が含まれていて有用である。第4,第6交響曲については校訂報告も含まれる。なお、全音版ではレートリヒの 序文は日本語訳されているのだが、この日本語訳、特に第6交響曲の序文の訳はかなり問題があるので注意が必要である。 もっともわざわざレートリヒの版を参照するような方は日本語訳の間違いに気づく程度の知識はお持ちのことだろう。ドイツ語ないし英語を正しく読めるか どうかもさることながら、知識があれば犯すはずのない間違いや校正不足と思われる部分(要するにまともな日本語になっていない部分)が頻出するなど、 かなり杜撰なもので、せめて元のドイツ語・英語も載せておいてくれれば良かったのにと思うほどである(私は第6交響曲についてはやむなくオリジナルの版を入手し、 始めからそうしなかったことを後悔した)。ちなみに全音は、以前から出版されている第2,3,5交響曲についてはそのまま元の版を残しているが、 それらについてはここで主題的に扱うつもりはないし、一切説明のないその版の由来について追跡するつもりもない。 かつて(もう30年近くも前のことだが)はこの全音版しか目にすることができなかったため、 子供であった私は第2交響曲については全音版を買ったのだったが、その後は高くても、手間がかかってもUniversal社のものを入手するようにした。ましてや 他の選択肢がある今となってはこの版をわざわざ選択する意義は(この版が出版され、流通したという事実の確認が目的であれば別だが)ほとんど 存在しないように感じられる。序文の分析はオリジナルのようだが、(試案に過ぎないと断っている点を勘案してもなお、)かなり妥当性が怪しいような部分も見受けられ、 かえって混乱を招くのではとさえ思われる。まあもっとも、最後の点については(実際、そのように断ることにより予防線も張られているのだが)そもそもマーラーの 交響曲の形式は極めてポレミカルなので、私の見解と立場を同じくしていないというだけかも知れないが。

一般に、出版譜における改版経緯というのは思ったよりはるかに情報が乏しい。ド・ラ・グランジュの伝記には自筆譜や、出版譜にマーラーが書き込んだ 修正の情報はあっても、出版譜については少なくとも整理されたかたちでは情報はないし、色々な文献を比較してみると、初版の出版年すら 一致していない場合が少なからずあって辟易させられる。マーラーが出版後も執拗に改訂を行ったのは「伝説」並みに知られているのに、実証的な 情報については極めて乏しいというのが偽らざる印象である。

第10交響曲のいわゆる「クック版」も改訂を重ねているが、現時点では以下のものが最も新しい版である。
また最近はWeb上にIMSLPという著作権の切れた楽譜をPDF化して利用可能にするプロジェクトがあり、マーラーの場合にもDoverがリプリントを出している ような権利が切れた古い版についてはオンラインで取得できるようになっている。また、近年では第10交響曲の自筆スケッチの画像が参照できるように なっており、その価値はますます高くなっている。著作権は属地主義によっていて、保護期間は地域によりまちまちなため、 Webでの公開には困難が付き纏うと想像されるが、マーラー協会全集後の時代にいる愛好家にとってマーラーの生前に刊行された形態を比較的容易に対照 できるようになったことは意義は大きいと思う。特にマーラーの場合には最初の出版以降もマーラー自身が改訂を続けたから、却って初期の出版譜を参照できる メリットを見出すことができるのではないか。今後のプロジェクトの発展と更なる情報の充実に期待したい。
また以下にはある時期までのマーラー受容の重要な通路であった交響曲のピアノ連弾などへの編曲についても、その意義に鑑み、所蔵しているものについては記載することにした。 (現在のところ他人の編曲によるものは第1、第2のワルターによる4手ピアノ版、第2のベーンによる2台ピアノ版、第5のシュトラーデルによる4手ピアノ版とジンガーの2手ピアノ版、 第6のツェムリンスキーによる4手ピアノ版、第7のカゼッラによる4手ピアノ版、そしてフォン・ヴェスによる第3, 第4, 第8, 第9の4手ピアノ版および大地の歌、 嘆きの歌、第8交響曲のヴォーカル・スコアが該当する。)


TOP
グスタフ・マーラーへ戻る

(c)YOJIBEE 2005--2014