マーラーによほど親しんだ人でも、そしてその中でもとりわけ歌曲に特別の意義を認めるような人でも、 初期の歌曲作品に関心を抱くことは少ないかも知れない。マーラーの個性というのは非常に早い時期 からあわられているとはいうものの、さすがにこれらの歌曲においては、もちろん、その片鱗は随所に 窺えるとはいうものの、さほど顕著なものではなく、結局のところ、マーラーの出発点を証言する資料の ような扱いを受けることが多いのかも知れない。
更に注意すべきは、出版されたリートと歌第1巻の5曲はともかく、3つの歌については、マーラー自身は 出版されることも、もしかしたら演奏されることも想定していなかったかも知れないという点である。 当世では、作者の意図はすっかり覇権を喪い、聴き手・読み手の解釈がこの世の春を謳歌している 感があるが、マーラー自身の意志を尊重すれば、少なくとも3つの歌を、それ以降の出版を認めた 作品と単純に同列に並べることについては一定の配慮がなされてしかるべきだろうと思われる。 (もっとも、これについては「嘆きの歌」の初稿についても言える。結局のところ、これらはマーラーが 破棄しなかったのだから、恐らく破棄されたであろう、青年期の創作の数々とはやはり違うのかも 知れない。)
だが、そうであるにしても、マーラーの創作を総体として捉えようとしたときには、これらの歌曲集も 一定の役どころを得ることになる。一つは「嘆きの歌」との関係であり、もう一つには、こちらはやや 間接的ではあるものの第1交響曲との関係において、幾つかの注目すべき点を見出すことができる。
「嘆きの歌」の方は、旋律素材の共通性のような関係で、3つの歌の第1曲「春に」との共通性が 指摘される。「第1交響曲」の方は3つの歌の「五月の緑の野の踊り」、リートと歌第1巻での 「ハンスとグレーテ」と、スケルツォ楽章主部との相関である。なおリートと歌第1巻の「ハンスとグレーテ」は 3つの歌の「五月の緑の野の踊り」の異稿と考えることができ、こうした参照関係についていえば 両者はほぼ同じ作品と見做して良いだろう。更に、ティルソ・デ・モリーナの「ドン・ファン」の独訳に 基づく2曲は、いわゆる劇伴との関連が想定され、第1交響曲の初期形態に含まれていた 「花の章」が「ゼッキンゲンの喇叭手」の活人画のための音楽と関係していたことと関連して、 当時のマーラーの創作活動のあり方を告げる記録と言える。(2008.10.7 この稿続く。)
形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの)春に | 第1節「非常にいきいきと」 | 1 | 13 | F | ||
第2節「もう一度とてもゆっくりと」 | 14 | 28 | As | |||
第3節 | 29 | 42 | C | |||
第4節「もう一度とてもゆっくりと」 | 43 | 53 | ||||
冬の歌 | 第1節「軽やかに動いて」 | 1 | 17 | A | ||
第2節 | 18 | 29 | ||||
第3節「真面目に、しかし落ち着いて」 | 30 | 44 | c | |||
第4節 | 45 | 74 | ||||
草原の5月の歌 | 前半「快活に大胆に、レントラーのテンポで」 | 1 | 40 | D | ||
後半 | 41 | 89 |
春の朝 | 前奏「ゆったりと、軽やかに動いて」 | 1 | 5 | F | ||
第1,2節「モデラート」 | 6 | 16 | ||||
第3,4節「冒頭と同じく」 | 17 | 35 | ||||
思い出 | 第1節「ゆっくりと、憧れに満ちて」 | 1 | 11 | g | ||
第2節「内面的に」 | 12 | 21 | ||||
第3節「次第に動いて(しかしそれとなく)」 | 22 | 40 | ||||
第4節「テンポI」 | 41 | 53 | ||||
ハンスとグレーテ | 前半「ゆったりとしたワルツのテンポで」 | 1 | 40 | F | ||
後半「少しゆっくりと」 | 41 | 89 | ||||
セレナーデ | 第1節「軽やかに流れるように」 | 1 | 14 | Des | ||
第2節 | 15 | 26 | ||||
第3節 | 27 | 38 | ||||
ファンタジー | 第1節「夢見るように」 | 1 | 18 | h | ||
第2節「少しゆっくりと」 | 19 | 34 |
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(2008年2月作成)