「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」という音楽祭が丁度毎年ゴールデン・ウィークの時期に開催されるようになったのは何時頃のことからだったか。 コンサートが課する時間的・体力的・精神的な制約に耐えるだけのキャパシティを欠いていることから、私はごく一部の例外を除けばコンサートに 足を運ぶことがない。ゴールデン・ウィークとて同様だから「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」もまた例外ではなく、そういう催しの存在は 知っていても、それに参加することはそもそも選択肢にすらならないのではあるが、そういう私でも昨年2011年のそれが、東日本大震災とそれによって 発生した原子力発電所の災害のため、当初のプログラムを維持できないような会場設備への損害と来日演奏者の大量のキャンセルを蒙った ことは風の噂に聞いていた。もっとも、2011年が丁度マーラーの没後100年にあたる年であることは意識していても、その年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」が 特集した19世紀末のクラシック音楽の創作おける「巨人たち」の中にマーラーが含まれていることすら知らず、一年後になってふとした偶然で 2012年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」に因んだ公式ガイドとしての機能を持つらしい新書版のロシア音楽に関する書籍を読み、 その中におけるマーラーの音楽に関連した記述に非常に強い違和感を覚え、やはり震災を契機に中断していたマーラーについての文章を 認めることを再びせずにはいられなくなってから、ようやくそうした事実関係を知ったような次第なのだ。
勿論、2012年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」はロシア音楽の特集なので、マーラーがいわゆるテーマ作曲家として言及されているわけではなく、 公式ガイドブックの著者の個人的な音楽聴取の履歴やら、テーマ作曲家を論じるときの或る種の背景として言及されているに過ぎない。 プロローグにあたる部分で著者の30歳代の10年間全体におよぶマーラーに対する熱中の時期があったことがまず語られ、ついであるコンサートで接した ショスタコーヴィチの室内楽を言及する際のいわゆる聴取の背景の経験として言及され、そしてそこからはかなり離れて、「現代のロシア音楽」と 著者が見做す(あるいは企画上、そう括ることを強いられた)作曲家の音楽を論じる部分で、ここで取り上げようと考えている一対の言及、 カンチェリとシルヴェストロフに関する記述に出現するマーラーへの参照が為されているに過ぎない。
ちなみに同じくプロローグにある2011年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」への言及は、些か奇妙な(と私には感じられる)仕方で為されている。 まずプロローグの冒頭、2012年5月という日付が記された一節の途中で「昨年の5月」に開かれたコンサートについての言及される。 そこでの記述は、19世紀末のヨーロッパの音楽は「今」(いつ?)の著者にとって「遠い記憶のなかにこだましている 懐かしい響きばかりだったが、あの、恐ろしい災厄に打ちのめされた心には、なぜかむしょうに心地よく響きわたった。コンサート会場に足を運んで、 はじめて自分が慰めに飢えていたことに気づいた」といったものだが、それ自体には特段奇妙な点はない。
奇妙な、というのは次にもう一度、上述のマーラーへの言及が行われた1994年6月のショスタコーヴィチ作品のコンサートについての一節の後、 今度は2004年9月という日付が冒頭に書付けられた一節で再び言及される時の言及の仕方と内容だ。今度は個別のコンサートに対象が限定されていて、 それは東京国際フォーラムCで行われたらしいブルックナーの第4交響曲である。だがそこでは今度は(深読みをすれば、暴力とノスタルジーというコピーを意識したものか) 巨大地震と津波の「現前化」の経験が語られるのだ。奇妙に感じられるのはその経験の内容自体では勿論ない。「現前化」の経験は恐らく事実なのだろうし、 私自身、少し後になるが、被災地から出てきた知人と一緒に東京文化会館でラヴェルの「ダフニスとクロエ」のバレエの公演を観ていた折、ラヴェルの音楽に対してではなく、 波が押し寄せてくる演出を見て津波の映像のフラッシュバック(だからそれはここで語られる「現前化」とは似て非なるものではあるが)を経験した結果、 ラヴェルの音楽の方も聴けなくなってしまい、未だにその状況が続いているのだ。同様に、同じ第4交響曲でも私の場合はショスタコーヴィチの第4交響曲なのだが、 あのフィナーレのコーダを頭の中で思い浮かべるだけで津波の映像のフラッシュバックに襲われるため、ショスタコーヴィチの音楽もまた聴けない状況が未だに続いている。
ブルックナーの第4交響曲の方はと言えば、自分にとってブルックナーの交響曲の中で最も疎遠な作品の一つであるし、その作品の雰囲気から言っても 「現前化」なるものが起きるのは意外なことではあるけれど、そのことを奇妙に感じたわけでもない。私がフラッシュバックの経験をした際に不幸にも聞いていた ラヴェルの音楽もまた19世紀末のヨーロッパの音楽といって良いだろうが、きっかけとなった演出はおいて、ラヴェル音楽そのものからはその時には大きな慰藉を 受け取った気がする。またこれは心理的には或る種の退行ではないかと思うが、その後色々な音楽が聴けなくなって後、しばらくはブラームスの音楽ばかりを 聴いていた時期があったくらいだが、ブラームスもまた19世紀後半の「巨人達」の一人に含まれていた。そういう意味では2011年の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」への 2つの言及のうち、寧ろ一度目に近いものを当時の私は感じていたのだと思う。
結局のところ私が奇妙に感じるのは、その一度目の(恐らくはブルックナーの第4交響曲もまた含まれるであろう19世紀末のヨーロッパ音楽に対する)言及と、二度目の言及で語られる 「現前化」の体験がどう結びついているのかがわからないという点に尽きる。私自身の経験からすればコンサートの途中でそうした「現前化」を体験するのは 寧ろ悲惨なことである。その経験にも関わらず「恐ろしい災厄に打ちのめされた心には、なぜかむしょうに心地よく響きわたった」「遠い記憶のなかにこだましている 懐かしい響き」でもあるというのが、私には腑に落ちないのである。
同様にして、ブルックナーの第4交響曲についてのこの経験が、「堅牢な」ドイツ音楽とロシア音楽との対比へと連想を広げていくこと自体も、それに異議を挟む謂れはないし、 出発点となっている「執拗かつ強靭な反復のなかで、その反復のもつ意味が日常の理解を超えたリアリティを増」すというのは、ブルックナーの音楽の聴取の 経験に基づく発言なのだろうが、それが直ちに「堅牢」さと言い換えられれば当惑せざるを得ず、これもまた違和感の原因となっていそうである。 執拗な同一音型の反復、長大なゼクエンツは確かにブルックナーの音楽の特徴だろうが、シューマンの同一リズムの反復の執拗さやシューベルトのゼクエンツの 長大さと同様、それらは寧ろ、所謂「ドイツ音楽」の構築的な契機とむしろ対立するものではなかったか。 シューマンのそれはしばしば病的なものとさえ見做され、シューベルトのそれは「天国的な長さ」という決まり文句に通じる非構築的な側面であり、 ブルックナーの場合であれば、20世紀の音楽の諸潮流を経た今日であれば、寧ろミニマリストのそれに比することができるかも知れないものであって、 時間方向の構造を決定する契機としてはドイツ的な「堅牢さ」とはまず異質なものではなかったのか。
もっとも、この後取り上げるマーラーについての言及が為される近傍には、「カンチェリはミニマリスト・ブルックナー」という言葉に続いて直ちに「形容矛盾ではない。」 というメモを記す著者のことだから、それはそれで了解は首尾一貫してはいるのだろう。だが、一貫しているからといって理解できるかと言えば勿論そんなことはなく、 私にとってはそのいずれも当惑の対象にしかならないのだが。序に言えば、発展・展開のない執拗な反復は寧ろ対比される筈の「ロシア音楽」の特徴の一つではないかとさえ 私は考えているし、その限りで例えば件のカンチェリに対するコメントも(対立を持ち込もうとする著者の意図には反するので、「形容矛盾」は当らないとはいえ) わからなくもないのだが、いずれにしてもそれはこの「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012」公式ガイドブックの是とする「ロシア音楽」の理解ではないのだろう。 パウル・ベッカーによればオーストリア的な交響曲のカテゴリに属し、ブラームスからは(これはより構築的であるはずの第8交響曲についてだったが)「うわばみ」と 評されたブルックナーの音楽の、よりによって執拗な反復をとりたててドイツ音楽の「堅牢さ」を連想するというのは、私にとっては奇妙な把握としか思えない。
その「ミニマリスト・ブルックナー」であるらしいカンチェリの「風は泣いている」に因んで、この「ガイドブック」は「世界は、人間中心的な意味づけから 解放されなくてはならない。今こそそれを知る必要がある。」という主張を行い、更に「この一行は、マーラーの交響曲を念頭に置いて書いている。」と 自己の主張について注釈するのである。そして「人間による意味づけからの解放、その表象世界がカンチェリにあるのだ。」と続け、更に、「彼の世界観は、 次に述べるシルヴェストロフとは対極にあるものだろう。世界が暴力とノスタルジーの二つからなっているということを、そして音楽は無限の可能性を 秘めているということをカンチェリほど切実に訴えかけてくる音楽はなかなか出合えない。」と述べる。更に節を変えて、そのシルヴェストロフについての 記述の中で、彼の第5交響曲に因んで再びマーラーの名前が出現する。「涙が出そうになるくらいの、哀愁とノスタルジーに満たされている。 それは、もはやロシアとかウクライナへの郷愁ではなく、廃墟と化した世界におのずと立ちのぼるある種の普遍的な感情としてのノスタルジーの感覚と いってもよい。」という言葉に続けて、「グスタフ・マーラーから強い影響を受けていることがはっきりと聴きとれるが、ロマン主義が終わり、アヴァンギャルドも 遠い過去となったいまだからこそ、この音楽が甦るのだ。」というようにマーラーが参照されるのである。
上記のようなマーラーへの言及は、私自身が、そして想像するに多くの人が想定するであろうショスタコーヴィチやシュニトケの項においてはマーラーへの言及が 為されていない(厳密にはショスタコーヴィチの項では「バッハからマーラーへと連なる壮大な西洋音楽の歴史」という言い回しの中でマーラーという固有名が出現するが、 これはマーラーとショスタコーヴィチとの関係の記述ではないから除外できるだろう)という面と併せて、少なくともこの「ガイドブック」の著者がマーラーの音楽を どのようなものとして受容しているかを端的に物語っているだろう。
ある音楽をどのように受容するかは、結局のところ各人の自由だから、私もまたそうした受容を「誤り」であると主張しようというわけではない。 ましてやこれは第一義的には「ロシア音楽」についての「ガイドブック」であって、マーラーについてのそれではないのだから、こんなところでマーラーの受容に ついて云々するのは、本末転倒・些事拘泥の謗りを免れないだろう。更に言えば、意図的かも知れないレティサンスの背後に、「ポスト・マーラー」といったコピーの下、 ショスタコーヴィチやシュニトケを取り立てる傾向に対する暗黙の異議申し立てが含まれているとしたら、それについては首肯できる側面だってあるのだ。 またその一方で、クレーメルか誰かが「キエフに死す」だと評したらしいシルヴェストロフの交響曲との関連付けのさせ方について言えば、当然のこととして マーラーの交響曲の方は「ヴェニスに死す」のBGMとしての文脈で捉えられているに違いないのだが、そうした把握の仕方こそが「ロシア音楽」からの展望なのだと 言われてしまえば、それが私にとって如何に意外で許容しがたい把握であったとしても、それはそれで受け入れるしかないのだろう。 シルヴェストロフの音楽にもカンチェリの音楽の方に私は強い拘りを持っているわけでもないから、 彼らの音楽との関係でマーラーの音楽がどのように位置づけられるにせよ、それによって決定されるシルヴェストロフの音楽、カンチェリの音楽の位置づけに ついてもあえて文章を書いて、自分の思いを整理しておこうと思っているわけでもないのである。
否、そもそもそれは「ロシア音楽」からの展望に限定された了解というわけではなく、21世紀にマーラーを聴くことの意義の一般的な了解はそうしたものなのであって、 別段特殊な見解が述べられているのではないのかも知れない。そしてとりわけ東日本大震災の後の日本ではそうであることの兆候が偶々「ロシア音楽」を 媒介にして発現したということなのかも知れない。
だがしかし、それがどのようなマジョリティを占めるものであったとしても、東日本大震災の影響と、それとは直接的に別の要因による多忙の結果の 感情的な麻痺状態の後、ようやく再びマーラーの音楽に接することが出来るようになりつつある状況下にあって感じるのは、少なくとも私にとってマーラーの音楽は、 この「ガイドブック」でのそれとは異なった相貌と志向を帯びた音楽であると感じられるし、そのように私はマーラーの音楽を聴いているということだ。 しかもそれは震災の前後で変化したわけでもなく、出会ってから35年間、基本的には変わっていないように感じられるのである。 そしてその了解のもとにこの「ガイドブック」の記述を読み返したとき、私にとっては飛躍が多くて論理の筋道がひどく辿りにくく、ここで扱うマーラーへの 言及に関連した部分に限定しても、例えばカンチェリについての記述は私にとってはその論旨が正確には把握できないことを白状せざるを得ないほど であるのだが、そうした困惑もひっくるめてこの文章で少なくとも仄めかされていると感じられる幾つかの点について自分なりの整理を行う必要を感じたのである。
正直に言えば、私は最早ほとんど、今、この地でマーラーの演奏を、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの活動への関与といった例外を除けば、 コンサートに赴いて聴取する必然性を感じなくなっている。その理由の一部は、この「ガイドブック」でマーラーという固有名の周辺で論じられている 事柄と確かに関連しているには違いなく、その限りでは問題の設定自体に違和感を感じているわけではない。しかしその一方で、そういう状況に陥った 私が未だにマーラーの音楽に聴き取りうると感じ、それゆえマーラーを聴き続けようと思うその理由となる音調は、ここでマーラーに帰せられているらしい それではないのも確かなことに思われる。要するに事態は錯綜としていて、この「ガイドブック」の記述から受ける困惑の一部もそうした錯綜に原因があるようなのだ。 そこで以下ではそうした錯綜を自分なりに整理してみたい。
マーラーの音楽が帰属する時代、ロマン主義の時代は最早決定的に過去のもので、その限りで「ロマン主義が終わり、アヴァンギャルドも 遠い過去となったいま」という認識は正しいと思う。しかし、そうした時だからこそ甦る「この音楽」とは一体どういう音楽なのか。甦ると言われるからには それは一旦は滅したということなのだとしたら、「この」の指示対象はシルヴェストロフの個別の音楽作品では少なくともないだろう。「この」はより 正確には「このような」であって、「涙が出そうになるくらいの、哀愁とノスタルジーに満たされ」た音楽、「廃墟と化した世界におのずと立ちのぼるある種の 普遍的な感情としてのノスタルジーの感覚」に満たされた音楽一般が甦る、ということと受け取るほかない。だとしたら、そうした特性を持つシルヴェストロフの 音楽に「影響」を与えたグスタフ・マーラーのそれもまた、同じ性質を備えた音楽だということになりそうである。
まず思いつくのは、人が過去の音楽にノスタルジーを感じるのは、対象となっている音楽自体が哀愁とノスタルジーに満たされているということを 必ずしも意味しないということだ。それは聴取の態度の性質の問題であって、聴取の対象の持つ性質ではない。勿論、対象もまた、そうした性質を 帯びていて、ホワイトヘッド的な意味での「感受の感受」のような事態が生じることもあるだろうし、ここでもそうしたことが想定されているということは 考えられるが。実際、ここで取り上げられているシルヴェストロフの第5交響曲は、マーラーの第5交響曲のアダージェットと結び付けられて論じられることが多いようだ。 既に言及したクレーメルの発言らしい「ヴェニスに死す」ならぬ「キエフに死す」であるといった評言は、そうした結びつきを前提としたものだろう。
しかし、ある音楽が過去の時代の音楽を引用する、あるいは直接的な引用ではなくても、音調を借用するという挙措は、引用や借用を行う側の音楽 固有の文脈と展望における価値を帯びていて、それは引用や借用の対象となった音楽が持っていたものとはとりあえず別である。 借用が元の音楽持つ音調の効果を利用するために為される場合もあるだろうが、それでも借用であることがわかってしまえば、 借用された内容の次元ではなく、それを借用した行為の次元について何某かを問わず語りに語ってしまうことは避けられない。 シルヴェストロフの意図が奈辺にあるか私は詳らかにしないが、いずれにしても聴き手に届くのは、借用の意図であって借用されたものの内容そのものである筈がない。 そうした時に、マーラーの「影響」とは一体どの水準での影響を指し示しているのかが曖昧に思われるのである。クレーメルの発言に乗っかって それを利用した言い方をするならば、シルヴェストロフの立ち位置は、せいぜいヴィスコンティの立ち位置と対応しているに過ぎず、 それならばマーラーの音楽の捉え方に関するヴィスコンティの影響を云々すべきだということになろう筈であって、マーラーの音楽そのものの影響を 云々するのはレベルの混同であるということになるのではないか。
勿論、そうした事情を踏まえてなお、マーラーの音楽自体もまた、「涙が出そうになるくらいの、哀愁とノスタルジーに満たされ」た音楽、 「廃墟と化した世界におのずと立ちのぼるある種の普遍的な感情としてのノスタルジーの感覚」に満たされた音楽である、という主張は可能だし、 そうした音調こそ、シルヴェストロフとの共通点であり、そうした音調に関してシルヴェストロフへのマーラーの影響が窺えるという主張もまた 成立するだろう。だがしかし、例えばマーラーの第5交響曲という作品の脈絡におけるアダージェットの置かれた位置とそれに相応して担っている機能、 更にはそれを含めたマーラーの第5交響曲の総体の持つ志向は、構造的に全く異なったシルヴェストロフの作品の志向と本当に同じだろうか。
伝記的事実や本人の意図を特権視する姿勢は今日では手放しで是認されることはないだろうからそうした面は捨象することにしても、 葬送行進曲で始まり、ニ長調のロンド・フィナーレで終わるマーラーの作品の全体は、私見によればシルヴェストロフの音楽の 「涙が出そうになるくらいの、哀愁とノスタルジー」とはかなり異質のものである。アダージェットの主題が後続のロンド・フィナーレで受ける 変形についてはマーラーを知る人の間では良く知られているし、何よりも一度聴けばすぐに気づくほど明らかなことだが、 その変形の意味をどうとるにせよ(ちなみに私は、それが言語的な記述の水準で確定できるという考え方に対して懐疑的であるが)、 未完成の第10交響曲を含めてさえ、ということは調性が曖昧になる「部分」(だがそれはあくまでも部分に過ぎない)を含んでさえ、 全体としては明確に全音階的な調的システムの中で軌道を描き、バロック時代以来の調性格論の適用すら可能な程であるマーラーの交響的作品 にあって、ニ長調で終わる第5交響曲ははっきりと「涙が出そうになるくらいの、哀愁とノスタルジー」とは別の着地点を音楽の裡に持っていると 私は了解している。
一方で、第5交響曲がマーラーの交響曲作品の中で占める位置づけについては、この曲に決まって適用される発展的調性論が嵌め込もうとする 闘争から勝利へといった図式を逃れるものがあること、この曲をベートーヴェン的な肯定の音楽と見做すことに対する疑問を私は持っていて、 別のところで記述したことがあるのでここでは詳細は繰り返さないが、それでも第5交響曲がマーラーの創作において(事後的な展望での 後付の理屈かも知れなくても)或る種の停泊点、折り返し点であり、その音楽の持つ時間性は、例えば第1交響曲の初期形態、つまり 交響詩「巨人」のそれを逆行させたものに近接するように捉えられるのではないかということはここで改めて述べておいてもいいだろう。
しかしそうした捉え方の下でも、「涙が出そうになるくらいの、哀愁とノスタルジー」に終始しない異なる明確な動性を備えているということは 明らかだし、仮に乱暴な単純化をして第5交響曲を退嬰的な後ろ向きの音楽であると総括したところで、そうした位置を占める第5交響曲が マーラーの創作の全てではないから、マーラーの音楽が総じて「涙が出そうになるくらいの、哀愁とノスタルジーに満たされ」た音楽、 「廃墟と化した世界におのずと立ちのぼるある種の普遍的な感情としてのノスタルジーの感覚」に満たされた音楽であるという主張は、 第5交響曲のアダージェットについての主張を第5交響曲全体に、そしてマーラーの作品全体に不当に広げたものであるという疑念は拭い難く、 実際の私の聴経験とも一致しないのである。
それならば更に一歩下がって、マーラーの音楽がロマン派の棹尾を飾るものであり、その音楽は滅びてゆく世界の過去の輝きに対するノスタルジーなのだ、 といった見方はどうだろうか。だが、この主張もまた、マーラーの音楽を後世の人間が眺めるときの展望の一つに過ぎない。勿論、そう捉えたければどうぞお好きに、 という他ないし、そういう展望でマーラーを捉えることこそマーラーを今日聴くことの意義を保証するのだと言われれば、そうした他人の展望にケチをつける つもりもないのだが、一つにはそのような音楽史的・文化史的な展望への還元は個別の作曲を、結果としての作品を少しも救い出さないし、 ある時代においてある人間が選択した姿勢なり態度なりをあまりに軽視しているとしか思えない。歌劇場の監督であり、 コンサート指揮者でもあったマーラーは、過去の音楽にも同時代の自分以外の音楽にも現場で接していたし、音楽史的な展望を持っていたのは、 マーラーが行ったコンサート・シリーズの企画などからも窺えることだが、シェーンベルクの音楽に未来を託した彼が、自分の音楽を行き止まりであると 考えていたとは思えないし、幸か不幸か第1次世界大戦すら知らずに没したマーラーは、自分が属した(とはいっても、3重の異邦人としてという マージナルなあり方でに過ぎなかったのだが)秩序が崩壊していく過程とその帰結を(例えばシュトラウスのようには)目の当たりにすることもなかった。
だからマーラー自身と、マーラーの音楽の同時代における意義はおくとして、今日の我々にとってはそれは「廃墟と化した世界におのずと立ちのぼるある種の 普遍的な感情としてのノスタルジーの感覚」を惹き起こす音楽であるという主張に対しては、そういう聴き方も可能かもしれないし、そうしたければどうぞ という他ないのだが、そのようにマーラーの音楽の聴取の仕方を規定しておいて、他方で「マーラーの交響曲を念頭に置いて」「世界は、人間中心的な 意味づけから解放されなくてはならない。今こそそれを知る必要がある。」という主張を行うことは、マーラーの音楽に対して正当な態度とは思えない。 それは自分である見方に対象を押し付けておいて、その見方によって対象を断罪しているに過ぎないではないか。
断っておくが、私は「今こそそれを知る必要がある。」とまで言うつもりはないが、「世界は、人間中心的な意味づけから解放されなくてはならない。」という 主張自体に異議があるわけではない。否、東日本大震災とそれによって生じた原子力発電所の災害の渦中に未だにいるのであれば、 「今こそそれを知る必要がある」と言いたい気持ちもわからなくはない。もっとも今更、手のひらを返したように「今こそそれを知る必要がある」といった 言い方をするのは随分御目出度い発言のように感じられるというのが正直な気持ちではある。しかも、そう言っておいて、震災後に聴取の仕方が 変わったと言われるのは、そうした「人間による意味づけからの解放」の音楽であるカンチェリに対してではなく、彼の世界観と「対極にある」とされる シルヴェストロフの「涙が出そうになるくらいの、哀愁とノスタルジーに満たされ」た音楽に対してなのだというのだから戸惑ってしまう。主張とは裏腹に、 それまでは懐疑的であった「人間中心的な意味づけから解放され」ない側の音楽に対する評価が高くなったと言っているに他ならないのだから。
そしてまた、一方ではカンチェリの音楽を「対話的宇宙」と性格づけ、それを説明するために、2つの人格である「我‐汝」の間の対話の思想を 展開したブーバーの名前を引用しておきながら、「世界は、人間中心的な意味づけから解放されなくてはならない。」というのは、端的に矛盾しているか、 さもなくば大幅な説明不足であって、そんな論理的な飛躍を自明のこととして、その間隙を埋める作業を読者に強制するのもまた不当なことにように 感じられてならない。もし対話の一方の主体を非人格的なもの(「世界」でも「宇宙」でも好きに名付ければよい)とするのなら、ブーバーを参照するのは ミス・リーディングにしか感じられないし、対話が(そのように取れる記述も見られるから)作曲者と聴き手の間のそれであるとするなら、そうした対話と 「人間中心的な意味づけから解放されなくてはならない」とされる「世界」との関係の如何、更には総じて「対話的宇宙」で名指されているものが 一体何であるか、全く明らかではない。しかもここでは「暴力」のみならず「ノスタルジー」もまた「世界」に帰せられているらしいのだ。
文学の世界ではこうした修辞や表現は許容され、寧ろ顕揚されさえするのかも知れないが、残念ながら私にはその意味を正確に捉えることが著しく困難であり、 これを「ガイドブック」として向かい合うことが求められている音楽祭に参加する資格など自分にあるとは思えない。そればかりか、少なくともカンチェリの音楽を 理解することなど全くの不可能事にさえ思えてくる。個人的な経験を言えば、カンチェリの音楽は30代に差し掛かる直前のある時期、全ての交響曲、 「風は泣いている」やヴィオラ協奏曲、「亡命」といった幾つかの作品を聴いたので、ここで参照されている作品についての聴経験は持っているはずなのだが、 その経験も、この「ガイドブック」の発言内容を理解する助けにはあまりならないようだ。
あるいはこういうことなのだろうか。カンチェリの作品は確かに暴力的とも形容できるような大音量の音塊が響くブロックと、哀歌的な旋律がきれぎれに 継起する静かな部分が、西欧の音楽からすれば全く非有機的な仕方で交替するような構造を概ね備えているという言い方は可能だろう。 そしてその交替に脈絡のなさを見出し、ある種の単調さを感じる人も少なくないだろう。その音楽の時間方向の脈絡は、主体の外部から到来する イヴェントに支配されているかのようで、主体は受動的である他ない。そういう意味ではこの音楽の世界は「人間中心的な意味づけから解放されている」という観方もできよう。 一方で、だがそうした音楽はそれでもなお作品であり、カンチェリという人間が組み立て-作曲したものである。単調さや脈絡のなさは、カンチェリによって 選び取られたものなのだ。だがその一方でカンチェリは作品の中に「ノスタルジー」をも埋め込むことで、聴き手に対して対話の余地を残していると言うことは できないだろうか。もっと言えば、暴力とノスタルジーが交替する作品を提示することによって、人間中心的な意味づけを拒む世界とともに、それに対面する 人間の反応としてのラメントをも差し出すことで、聴き手との対話を試みているのだ、と。
(もっとも、著者の提唱する二分法によれば、カンチェリもシルヴェストロフもどちらも有機的であって、ここでは対立はないことになるらしい。一方で、 ベートーヴェン的=求道的・構築的、モーツァルト的=道草的・非構築的という軸では、カンチェリは前者、シルヴェストロフは後者で対立することになっている。 ただし有機的であることの定義は一切なされないから、そもそも異論を唱えることすらできない。求道的、構築的にしても同じで、例えばペルトが シュニトケと並んで求道的・構築的に分類されているのを見ると、それぞれの意味もさることながら、求道的と構築的を一緒に押し込んだ分類に 一体どういう意義があるのか疑問に感じられる。もっと謎めいているのキリスト教・非キリスト教の軸である。例えば、第14交響曲を書いた ショスタコーヴィチがキリスト教タイプに分類されるかと思えば、ユダヤ人ではあるがロザリオの祈りを構造的な支点に持つ第4交響曲を書き、それ以外にも 典礼文に音楽を繰り返しつけていて、例えば翻訳もあるイヴァシキンとの対談においても自分からカトリックや正教への信仰を巡って語っているにも関わらず、 シュニトケは非キリスト教タイプとされる。同様に、タタール人ではあるが正教徒であり、やはり受難曲や復活に因んだ作品を作曲していても、 グバイドゥーリナもまた非キリスト教的と分類される。ちなみにカンチェリはキリスト教タイプ、シルヴェストロフは非キリスト教タイプに分類されている。 この2人に対しては以下にも述べるようにその音楽が(非音楽的な礼拝行為のような性格を帯びているかという観点から)宗教的・非宗教的を分類すると 読みかえれば概ね妥当だと思うが、それは「キリスト教的」かどうかとは別の水準の議論だし、他の作曲家の配分を見る限りでは分類基準は私には 全く不明であって恣意的で勝手気儘なものにしか思えない。一体、基準が明確でない二分法の組み合わせが「ガイド」として何の役に立つのか 私には理解できない。読者の反応を気にして釈明をする以前に、定義を示すべきなのではないか。)
一方で、もっと単純に、カンチェリの作品が儀礼的な側面を備えていること、そういう意味でそれは人間的ではない何かに対する語りかけであるというふうに 言うことはできるだろう。それはだが、端的に「祈り」と呼ぶべき行為なのだ。つまりカンチェリの音楽は常に音楽外の行為的な価値を帯びている点に その音楽の決定的な特徴の一つが存しているように私には見える。そしてそうした側面は、カンチェリの作品の内容をも浸食しているのだ。 祈りは常に人間のものであり、祈りの行為には必ず祈らずにはいられない人間の感情や情動が影のように付き纏う。そうした側面こそが カンチェリの作品に或る種の暖かみを与えているのではないかと考えることはできるだろう。
だとしたらそれは「対話的」なのではないだろう。それは人間的な祈りの所作であり、聴き手は聴くことによってその祈りに参与することが可能であるに過ぎない。 勿論、「我-汝」の関係を祈りの対象との対話、神との対話として考えることもできるだろうし、実際ブーバーの思想が由来するハシディズムの伝統では そうなのかも知れない。だが、カンチェリの音楽の相貌からは、寧ろ私なら我と汝の対話を主張するブーバーよりも絶対的他者としての神との分離を説く レヴィナスを思い起こすところだ。実際にはグルジア人であるカンチェリはいずれとも直接の関わりはないのかも知れないが、例えば彼の別の作品、 「亡命」で選択されたパウル・ツェランの詩はブーバーのハシディズム的な対話の世界からは遠く隔たっている。誰でもないものへの祈りであるそれは、 寧ろ対話が拒まれた世界との(非)関係における祈りの(不可視の)共同体への絶望的な希求なのではないか。それは「ぼくとあなた」の対話などでは 決してないし、そこに世界が割り込むのでもない。ここで「亡命」を、ツェランの詩を参照することの妥当性については議論があるかも知れないが、 いずれにせよ最初にも述べたように、カンチェリを巡る「ガイド」の記述は、私にはそれこそ「支離滅裂」にしか感じられない。
ともあれそう考えれば、世界観が対極にあるかどうかはおくとして、少なくともシルヴェストロフの音楽がカンチェリの音楽と異なった位相にあることは間違いないだろう。 シルヴェストロフの音楽には祈るべき超越的な他者が欠如しているのだ。レクイエムと題された作品ですら、それは祈りではない。寧ろそれは主体の世界に 対する反応(例えば親しい人間の死という出来事に接したときの感情や情動)を音楽的に定着したものであり、私的で独我論的といっても良い ような記録なのであるが故に、自律的で、音楽外的な機能を持たない純粋な音楽でしかない。だがこのとき、カンチェリにもシルヴェストロフにも適用される ノスタルジーという語は、その用法はほとんど無意味に近づくほどにまで拡張されてしまっているように思える。「ロシア音楽」(だが、カンチェリは西欧に 亡命したグルジア人であり、シルヴェストロフはウクライナ人なのだが、、、)の特徴を一言で要約することが要求される音楽祭のキャッチコピーによって、 暴力的に一くくりにするという目的以外にそれを敢えて同じ語で呼ぶのは必要性があるのだろうか。勿論、両者に共通性を見出す立場も可能だろうが、 実際に対極にあると主張するのであれば、その主張に応じて、いっそのこと別の語を用いるべきだったのではという疑念は避け難い。 もっとも実際の適否を判断するのは私の手に余る作業である。私はその両者の作品の全体を、個別の作品のではなく、作品に共通する作者の 世界観の違いを判別することが可能な程度に知っているのは到底言えないからである。だが、この点においてすら、この「ガイド」のこの部分について、 数えるばかりの実演と、「乏しい」と著者自らが述べるCDのコレクションと(音源の著作権に照らした投稿の合法性について疑念がある場合が 少なくない)YouTubeの音源に基づき、代表作かどうかも自分では判断できない、ごく限られた作品しか案内できないと断り書きがついているので あれば、著者とは見解が一致することはないのだろう。結局のところ私自身はカンチェリにもシルヴェストロフにもそんなに関心はないので、 この点についてはもうこれくらいで十分だろう。
だがしかし、そうであるならばマーラーについてはどうなのか。既に述べたようにマーラーの音楽そのものは典礼的な目的で書かれたわけではないが、 にも関わらず、テキストにキリスト教的なものが含まれる作品以外でも、総じてその音楽には奉納といった側面が確実に存在しているように私には 感じられる。コンサートホールでの交響管弦楽の演奏を想定されてはいるが、委嘱を受けて書かれたわけではないそれは、名人芸の披露のため、 あるいは聴き手の娯楽のため、消費されることを目的として書かれたのではない。内容においても、際立って主観的と見做されるにも関わらず、 それは作曲者の個人的感情の吐露といったレベルでは捉えることができず、寧ろ或る種の世界観の提示、認識の様態を開示するようなものだ。 そういう意味では疑いなく哲学的であり、広い意味での宗教性を帯びていると言ってよいと思われるし、少なくとも音楽が手段として用いられる 音楽外の契機が音楽を基礎づけるといった音楽のあり方において、カンチェリに近接するようにすら感じられる。
その作品は歌謡的な旋律に富んでいて、一見形式的に弛緩しているように受け止める向きもあるだろうし、複数の音響層の併置や 空間的な音響構成など、伝統的な作曲法からすれば構築的とは言いがたいが、全般的には全音階法的な和声と線的な書法に支えられ、 意識の流れを思わせるような散文的な時間的構造を備えており、有機的な音楽と言ってよいだろう。
またマーラーの音楽はヘーゲル的な「世の成り行き」(Weltlauf)とそれに対する主体の(必ずしも意識的な部分に限定されない)反応といった図式に従っていて、 現実的な外部が契機として明確に存在するし、そうであるが故に、他面において超越的なものへの眼差しにも欠けていない。 意識の音楽としてのマーラーの音楽には、時間論的に回想に相当する機能を果たす箇所が認められるが、それはあくまでも一つの契機に過ぎず、 その作品の構造をそれのみで規定するようなものではない。従って、マーラーの音楽をノスタルジーの側面のみから捉えるのは、 マーラーの音楽自体にとっては著しく一面的でバランスを欠いた見方であると考えられる。
その一方で、マーラーの音楽には様々な性質の非人間的な契機の侵入が明らかに認められ、従ってマーラーの音楽を専ら「世界の人間的な意味づけ」として捉えるのは、 これもまた不当な単純化であると思われる。だが同時にマーラーの音楽は、「世の成り行き」に対する主体の反応であると見做せるし、 人間が儚く有限の存在であることを認めた上で、そうした人間の主観性の無限への憧れを擁護し、卑小な人間の反応の過程を音楽として定着させる志向を 備えているという点で、人間的な地平に縛られた音楽であるともいえるだろう。それは人間中心主義的ではないが、にも関わらず人間的な音楽なのだ。 総じて主観の極が廃棄されることはなく、全面的に非人間的な秩序ないし法則、あるいは暴力の反映になりきることはない。 そして3.11以降の今であるからこそ、(それには心理的には大きな困難が伴うことを私は経験しているし、今でもそれはしばしば困難であり、 もしかしたら私が存続する限り、もうその困難から解放されることはないのかも知れないが、そうであれば寧ろ、尚更)マーラーの音楽を聴き続ける必要が あると感じているのは、それが「世の成り行き」の前で無力な人間の立場に立った音楽だからなのだ。 アドルノも言っている通り、マーラーの音楽は敗残者のためのバラードであり、自由を奪われた状況においては幽霊の行進でしかなくとも、弱り果て、 もの言わぬ自我たちに表現の道を用意し、救おうと手を差し伸べるものであり、「レヴェルゲ」(目を覚まさせるもの=幽霊)なのだ。
従って、あえて「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012」公式ガイドブックに抗して言えば、今こそ必要なのは、人間的な意味づけからの解放などではない。 確かにマーラーは過去の異郷の音楽であるけれど、そうした時代と空間の隔たりを越えて、常に人間が直面せざるを得ない、人間的な意味づけがいとも 容易に崩れてしまうという現実のさなかにあって、繰り返し人間的な意味づけを恢復することに誘うような音楽なのだ。恢復は懐古でないのは勿論、復旧でもない。 意味はその都度、改めて獲得されなおされなければならないものであって、決して自明で不変なものではない。そして恢復のためにはノスタルジーが契機として 必要であったとしても、ノスタルジーに自閉するのではなく、現実に立ち戻る必要がある。疲労困憊していたとしても、更にはそれが運命に対する或る種の「反逆」であり、 勝ち目のない戦いであったとしても尚、移り行くものに留まるほかない者は外部に向かって働きかけ続けなくてはならないのだろう。「私が人生の終焉まで 休むことなく活動すれば、現在の生存形態が私の精神をもはやもちこたえられなくなっても、自然はかならず私に別の生存形態を与えてくれる筈だ」という マーラー自身の発言を、その音楽は裏切らない。ここに引用したマーラーの言葉は、マーラーの時代にあっては「霊魂の不滅」という議論の枠組みでしか 語られることはなかった。だが、マーラー自身はそうした時代の制約の中で、ゲーテに依拠しつつ、彼の時代の自然科学の動向にも留意しつつ、 音楽という手段(そう、ここで音楽は手段であり、音楽外の契機が侵入していることをもう一度確認しよう。音楽は自律しているかわりに他の人間の活動から 孤立した営みではないし、そうした人間の活動もまた、世界の中で孤立して、自足しているわけではないのだ。)を用いて定着させた。100年後の異郷に 住む人間は、そうしたマーラーの志向を継承し、今、ここでの展望から、更には未来のポスト・ヒューマンの展望から、かつて「魂」と呼ばれたものや「精神」と 呼ばれたものを改めて定義しなおし、「霊魂の不滅」を別の仕方で扱うことができるし、そうすべきなのだ。マーラーの音楽はそうした不断の、終りなき 活動への誘いなのである。
その一方でマーラーの音楽は暴力的な世界に対する徹底的な覚醒を強いることはない。「お休み」と言うことはここでならまだ許されているのだ。 ここでは回想だけではなく、眠りにより意識の中断すら許容される。主観性の擁護は、無意識的なものの排除を意味しない。 そしてそういうマーラーの音楽は意識的な主体の限界を超えた奥の部屋からの声を 聴き取るように誘う(「おお、人よ、注意せよ!」)のであり、三輪眞弘さんの言う「人間ならば誰もが心の奥底に宿しているはずの合理的思考を越えた 内なる宇宙を想起させるための儀式のようなもの、そこには自我もなく思想や感情もない、というより、そこからぼくらの思考や感情が湧き出してくる、 そのありかをぼくらの前に一瞬だけ、顕わにする技法」なのであって、それゆえ100年の隔たりを経た後、今なお、それに感動することができるし、 GWの余暇のための単なる「イケテナイ娯楽」ではない何かであり続けるのだし、それゆえ、どんなに拙いものであったとしても、その音楽に自分なりに 応答するための時間を贈与すべき対象なのだ。その音楽を擁護するという行為そのものによってさえ、かつまた卑小で無価値な私のような聴き手さえもが、 自分に勝りたるもの、自分の有限の生命と取るに足らない能力が能くしうる限界を遥かに超えた価値、最早人間の概念が止揚されるような場、もはや 私のままでは関与できないようなものにコミットし、寄与することを確信できるような何かをマーラーの音楽は備えている。人間的な意味づけの擁護、 主観性の擁護を介して、それを徹底することによって人間的な意味づけからの解放を希求する動きこそ、マーラーの音楽の備えるもっとも基本的な 志向なのだ。そして私はそのことを、自分のマーラーの聴経験に照らしてここに証言し、かつそうしたマーラーの音楽とともにあることをここに証言する。 (2012.4.30/5.1初稿)
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