グスタフ・マーラー Gustav Mahler (1860-1911)・人物像(2)証言


アルマの「回想と手紙」にある「大地の歌」の題名に関するコメント(アルマの「回想と手紙」原書1971年版pp.168--169, 白水社版邦訳pp.162--163)

Den ganzen Sommer arbeitete er fieberhaft an den Orchesterliedern, mit den von Hans Bethge übersetzen chinesischen Gedichten als Texten. Die Arbeit vergrößerte sich unter seinen Händen. Er verband die einzelnen Texte, machte Zwischenspiele, und die erweiterten Formen zogen ihn immer mehr zu seiner Urform - zur Symphonie. Als er sich darüber klar war, daß dies wieder eine Art Symphonie sei, gewann das Werk schnell an Form und war fertig, ehe er es dachte.
Es Symphonie zu nennen, getraute er sich aber nicht aus dem Aberglauben, den ich schon angedeutet habe; und so glaubte er, unsern Herrgott überlistet zu haben.
All sien Leid, seine Angst hat er in dieses Werk hineingelegt: » Das Lied von der Erde « ! Es hieß im Anfang: Das Lied vom Jammer der Erde.

この文章はアルマの「回想」の1908年夏の章の始まってすぐに出てくるものであるが、ここでは最後の文章で「大地の歌」の題名についての言及がなされている 点が特に注目される。1971年版では脚注がついていて、このタイトルと第1楽章の最終的な曲名との関連に触れているが、この点は全曲の構想を考える上で、 示唆的であるように思われる。
一方、近年研究が進んでいる実証的な草稿の調査結果を含めて題名のプランの変遷を辿ると、"Die Flöte der Jade"「翡翠の笛」(de La Grangeの伝記第3巻p.1123参照)、"Das Trinklied von der Erde"(これはSusanne Villの"Vermittelungsformen verbalisierter und musikalischer Inhalte in der Musik Gustav Mahlers"のp.155が詳しい)などの形態もあったようだ(Danuserのモノグラフのp.26参照)。
最初のものはde La Grangeも言及しているように、Bethgeの詩集の源泉の一つであるユディト・ゴーティエの詩集の題名(「翡翠の書」)を思わせるが、それをマーラーが知っていたかはともかく、かつてDer Pavillon aus Porzellanが「誤訳」に基づくものであるという考証が為され、それなりに話題になったことが思い出される。誤訳は紛れもない事実なのだろうし、陶器の亭というイメージの非現実性もその通りには違いないが、それを言い出せば「翡翠の笛」だって劣らず不自然には違いなく、要するにマーラーの想像力の領域におけるイメージの体系を受け止めるにあたっては、そうした実証的な事情は大きな意味を持たないということを告げているように思われてならない。
一方"Das Trinklied von der Erde"の方は、"Das Lied vom Jammer der Erde"と丁度対をなすように、これもまた最終形態における第1楽章の題名と関連している 点が興味深い。草稿ではTrinkという語が後で書き足されたような形跡があるようだが、開始調の同主調を取る第5楽章がこれまた酒にちなんだ題名を持っていることや、第5楽章のみ成立過程がわからないことなどを考えると、色々と想像力をかき立てられる。いずれにせよ最終的には重心の移動が起こり、JammerもTrink-も冒頭楽章の題名に収まり、全曲はそれらなしの» Das Lied von der Erde «になったわけである。(2008.2.11)


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