グスタフ・マーラー Gustav Mahler (1860-1911)・備忘(1)


備忘(2002--2008):その1

はじめに:このページに収められた文章は、本来公表するには適さない、ほとんど日々のメモ書きに 過ぎないものであり、それゆえその多くがエスキスに過ぎないレベルであり、論理的な流れに著しく欠け、理解に苦しむような飛躍が多く、あるいはしばしば矛盾すら見出すことができるかも知れない。 さらには、あくまでも自分の備忘のために書き溜めたそのままの形態のものがほとんどであることから、明らかに前提の説明が不足しているものも少なからず含まれるものと予想される。
ただし、書き記した内容は―その少なくとも意図の次元では、基本的に現在の見解と齟齬を来たすものはないと思うし、一見矛盾に見えるものは、とりわけマーラーのような多面的で 複雑な存在が対象である場合には、しばしばその異なった側面を眺めたものが併置された結果に過ぎない場合も多い。
従って、とりわけこの項については今後随時手を入れて整理をしていくことになるが、それは見解の変更というよりは、それぞれの文章を本来の位置に配置する作業であると考えている。 とりわけ読書をして批判的な印象を書き留めたものについては、その批判を十分に説得力のあるもの仕立てていく必要があると感じている。まあ、所詮は素人の素朴な感想なので、 このままでも問題は無いはずだが。

マーラーを語ることの困難

偉大な作品について書き、それを公表することは困難だ。 それは大変な勇気を要する。私が何を加えることが出来るのか?
「~について語る」ことが出来るほどに、ある対象について知悉しうるのは決して簡単なことではない。 結局、そのためには充分な時間とコストが必要なのだ。 時間をかけずに、何かを産み出すことはできない。 全ての作品を知らねばならない、というつもりはないにせよ、ほとんどの作品を憶えているくらいでなければ、語ることは難しい、、、
知らずに書くことは恐ろしい。またわからずに書くことも。 何とたくさんの間違いが蔓延って、大きな顔をしていることか。 私もまた、その愚を犯そうというのか?

自分の聴き方に対して反省してみる余裕ができれば、書くことは難しくなる。一通り聴いて全体を捉ええたと 思われるくらいが丁度良い。 文献を読むのは、第一印象が薄れるからではなく、視点の多様性を自分の立つ位置の相対性を認識することで、 そうした反省を生じさせる故に危険なのだ。 独断的な潔さをもって熱中の対象を描き出すのは悪いことではない。 だが、多分、その先に進まなければ、本当に何かを論じることはできない。

音楽一般「について」考えを纏める事はやらないほうがいいだろう。 それだけの時間がない。 音楽そのものについて語るには素養が無さ過ぎる。 だが何と多くの誤解と事実の無視が、基本的な考え違いが音楽の周囲にあることか。
それらに対しては「否」を言わなくては、と思う。 「現象から身を離しつつも」、そこでは赦し難いものを感じる。
音そのものに対する興味、関心というのは、共有しない。 勿論音楽家は興味を持ってよいのだろう。 私が聴き取りたいのは音の構造の水準ではなく、それを支える「何か」の方だ。 そうでなければ音楽家でもない私が何かを言う意義はない。

とりあえずマーラーの音楽は「古典」である。それは同時代性の限界を乗り越えて、文化の違いを乗り越えて、今日の極東の地で聴かれ続けている。 そうであるとすれば、それは「古典」に接するときに生じる問題―その作品が生まれた文脈は既に喪われてしまっていて、間接的な知識というかたちでしか それを理解する手段がないという限界を持っている。マーラーが生きた時代についての、マーラーが己の作品を産み出す素材とした思想的背景についての 知識が増すことは、マーラーの音楽の理解にとって無意味ではないだろうが、一方で、それを幾ら知ったところで、自分が生きている時代がそれとは 全く異なる時代なのだということを忘れてはなるまい。知識の量が経験の質を担保することは、結局ありえないのだ。特にそうした知識を豊富に持つ 人たちは、我が事のようにマーラーに向き合う聴き手の素朴さを嘲笑うが、そのくせマーラーの音楽が世代を超えて生き続ける理由について、 そうした素朴な聴き手以上に多くのことを掴んでいるようには見えない。要するにそういう人達は、マーラーの音楽を過去に閉じた、完結したものとして 扱っているのだ。その姿勢の骨董品の来歴について得々と語るのとなんと似ていることか。


芸術と人生

芸術と生活の分裂―確かに、だが、それが一致するようなことがあり得るのか?
それを悲惨と見做すかどうかはおくとして、それが「矯正」さるべき異常な事態であるかどうかは疑ってみて良い。 近代化―疎外、分化、合理化。だが、日常生活の実践や儀式との密接な結びつきは、回復さるべき何かなのか? そうではなかろう。
現実を何か外的な価値によって断罪する身振りにはどこか独善がつきまとう。そもそも何故、音楽が 現存する「社会」を超越しなくてはならないのか?何故、音楽が社会的機能をもって価値付けされなくてはならないのか? 音楽が、自律的なもの等ではなく、社会的に規定されているばかりか、寧ろ積極的に、その産出から享受に至るまで 社会の中を通過していく社会的な存在であることは、当然のことであって、自律的な美学は批評をする自分がどのように 音楽と対したかというのを単なるエピソードやアネクドットの類に閉じ込めることによって議論の舞台から締め出そうと しているに過ぎない。 自分だけが超越的な視点で作品を眺めることができ、その眼差しを消去することが可能だというのは、全くお目出度い 姿勢だというべきだろう。 だが一方で、脱審美化された美的経験を重視しながらも、聴衆類型論で良き聴き手を囲い込み、非形象的な音楽を 優位におき、更には直接的な感情的応答を超え出た批判的応答を芸術作品の「真理内容」とすることで、 批判哲学の居場所をちゃっかりと星座の中にとっておく姿勢は、それが結局、今、ここには不在の規範的な 「真なるもの」を目がけている点でやはり疑わしいものとなる。
分裂はユートピアにおいて解決されるべき何かなどではないのではないか? アドルノがマーラーのVIIIに対して示した両義性―救い主の危険―は自分に対しても向けられるものだ。 多分アドルノ自身も自覚していたことだと思うが。マーラーに何か共感できるものがあるとしたら、それは矛盾のうちに、 II,III,VIIIとVI,IX,LEを同一の人間が書いたという矛盾のうちにある。どれかが他を回収するわけではない。


マーラーの「矛盾」とマーラーへの「距離」

マーラーの「遠さ」
引用、文化的文脈、民族性、社会的背景、地位(成功者)
―引用も文化史もアドルノの観相学の本来の企図も、すべて遠い異邦の出来事には違いない。
作曲活動の不滅性(Blaukopf p.106)
進化論、汎神論と唯物論
ゲーテのファウストと唐詩の間の距離

作曲者でもなく、演奏家でもない、楽曲分析―伝統的な音楽学での―も遠い。
影響と再生産、単なる享受者、受容者にとどまって何が可能か?

内在主義、それどころか認知心理学的な水準まで戻っても良い。
(形式的な分析は「聴取」の論理からすれば―そして音楽は現象する音が全てだとすれば―逆立ちしている。
伝統的な楽式論からの出発を保障するのは、せいぜい作曲主体の知識との共通性だ。―つまり、同じ教育を 受けたという。)

世界観の問題は残る。 マーラーの場合は、まずそれは「意図された」ものであった。 意図されたものはどうでもよくて、実現されたものが問題であったとして、だがそこで問題になるのはやはり世界観 ―というか認識のあり様、意識の様態といったものだ。 ところで、認知心理学的な水準に戻ることは、実験室の環境に聴取を還元することではない。マーラーの場合はそれは無謀な企てだ。 だから、結局はもう一度文脈というのは入って来ざるを得ない。 少なくとも歌詞は無しで済ますことは出来ない。 (標題は、それが撤回された、という事実を無視しなければ、やはりそれなりの手がかりにはなる。但し、標題音楽的な 解釈が是とされることには全くならない。標題は結局、歌詞そのものでもないのだ。) だからニーチェと第3交響曲は問題にして良い、すべきなのだ。

―マーラーの「矛盾」はだが、ずっと前から言い古されてきた事だ。 指揮者と作曲家、交響曲と歌曲、だが、世界観ともなれば別だ。意識の様態の多様性自体は問題ではない。 だが、コヒーレンスはやはり想定されねばならない。 Kennedyは「実験的」「演技者」と呼んだ。 仮説とその検証がより近いのか? 否、そうでもないだろう。 作品を形成する作業と、そこに盛り込まれる実質の問題はだから分裂もするし、緊張関係にもある。

マーラーの音楽は、その世界観はもはや過去のものであって、疎遠なものだ。何と言っても前世紀の価値観の 産物なのだ。
だが、マーラーの音楽は、同時代にあっても、アナクロニックなものであった。
アナクロニズムには、だから注意を払う必要がある。

(もっとも、生活世界レベルでの世界観や思想、信仰については、彼が懐疑主義的でしばしば「実験的」で あったとはいえ、それなりに「誠実に」表明されていると思うが、、、)
それが「実験」であったことが、戸惑いの原因ともなり、逆に、時代の違いを乗り越える契機にも なりうる、ということなのだろう。
それでも、違いは、無心に音楽を聴いていたころには想像もしなかった程大きいように感じられる。
それとも、これは私が変わったのか?かつての私は、むしろマーラーの音楽の同時代人だったのか?

・進化論と第3交響曲(vignal)
だがマーラーはショスタコーヴィチと違って、唯物論者ではなかったろう。主観的な闘争―勝利ではなく、漸次的な推移 banalな素材

進化論的思潮との距離。唯物論への抵抗(手紙より)

例えば進化論に対する立場。
あるいは唯物論に対する立場。
19世紀の西欧の音楽では、この点で展望を共有することを期待するのは難しい。
ただし日本にいれば、微妙に風景のピントの合い方はずれてみえる。
マーラーの進化論に対する立場は微妙だ。
彼は自然科学に対する豊富な意識を持っていた。
ニーチェに対してはアンビヴァレントな感情を持っていた。
ショーペンハウアーに対する共感を考えれば、実際には進化論を受け入れる素地はあったろう。
だが、恐らく進化論に対しては留保をしたに違いない。
彼の神がどのようなものであったかはわからないが、神がいたのは確かだろう。
神秘主義があったに違いない。
彼は(処世のために改宗はしても)カトリックではなかった。
とはいうものの、時代の空気を考えれば、現在の日本に生きる人間の意識と単純に同一視するのは 困難だろう。

こうした立場の違いを理由に、音楽そのものを拒絶することは一般には 「筋違い」と見做される。だが、そうだろうか?実際にはそうした態度はしばしば 密輸されているのではないか。
教会で典礼に用いられる音楽を、そうした文脈を切り離して聴くのは 実際には困難だ。現実にはやってしまっている人は多いだろうが。


人と音楽の解離?かつての伝記主義的な解釈は、寧ろ音楽から人への投影に基づくもの?

出世主義者マーラー

Mahlerの音楽は、Adornoのいうほど、弱者の、引かれ者の歌なのか?
出世主義者・成功者Mahler
Mahlerの微妙さは、その多面性にある。
あったのは自己への信頼ではなく、媒体としての宿命の認識だったかも知れない。
醜い星座、調和しないモナドのイメージを定着させる?何のために?それに何の意義がある?

醜さや悪を観念的に考えることも、何か巨大な怪物としてイメージする必要もない。
それは目前に、極日常的に存在する。エイハブのように鯨に向かうのは、ある種の投射の結果だ。

作曲者の意図と作品と、いずれに忠実であるかは明らかだ。
だが、問題は主体の意図ではなく、作品がどうであるかということだ。
もし、そうだとしたら「作曲者」はどうなる?天才の神話は?あるいは「個性」と言うものは?

マーラーへの疑念はむしろVIIIを書いてかつIXをLEを書くことができる点、あるいはVIのあとでVIIIを書ける点だ。
両立しうるのか疑わしくなるほどの振幅。
本当にどちらも信じられたのか?
気分的なもの以上のものを読み取ろうとしたとき、そうした世界観や死生観のちょっと考え付かないほどの 相違はとまどわせるものになる。
勿論、どちらかが本当で、どちらかが偽りでということはないのだろうが、だから、Greeneの IXについての最後のコメントは正しいだろう。Xがあればまだ「一貫」するかも知れない。
IXでは問いへの答は出ていない。宙に吊られたままなのだ、と。
またKennedyの「演技者の要素があること、つまり確信からでなく、精神的な実験として態度を構えた」 というコメントは正しいのだろう。(ところで、かつての私は、一体ここに何を読み取っていたのだろう
こうした世界観の矛盾をどう思っていたのか?もう思い出せない。)

Mahlerの謎。なぜあのような音楽を、私は「内容」を問題にしているのだ。
彼が疎外を感じていたとして、それを強調するのはおかしい。公的な成功と内面を混同することと同じくらい、両方を分離することも間違っている。
平和な戦争の無い時代に、頂点にまで登りつめた人間の書いた音楽、私はそれを本当に理解しているのだろうか?
100年前の異邦の音楽、しかも全く異なる生活。
寧ろ作品そのものに向かい合う、自分なりに向かい合うことのみが可能か?
例えば、III-6、この音楽がどんなに並外れたものか、今ならわかる (かつては「当たり前」のように聴いていたのだ!何ということ!)

*かつての私のマーラー観が、恐らく、その当時まだ残っていたマーラー観の影響を受けて、ひどくエキセントリックで内面的なものであったのは 確かだ。何しろ、彼を成功者だとは思っていなかった。文字通り、殉教者だと思っていたのだ。
III-6についての記述は、作品自体から受ける印象のことではない。そういう点では、かつての私も「当たり前」のように聴いていたわけではない。
この作品の持つ時間性は、全く独特の、稀有のものだ。
ここでいう並外れたもの、というのは、寧ろ、音楽史上をみても破格である、人間が創造したものとして、云々といった、比較対照をした上での 卓越性を言っている。確かに、かつてはもっと直接に音楽を聴いていたので、そうした他との比較の上での偉大さというのは「考えたことがなかった。」

しかしどちらが作品に端的に向き合っているか、判断は困難だ。言えるのは、かつての方が無媒介に接していたこと、今は距離感が存在すること、 その事実だけだ。(それでもその音楽は、その距離を乗り越えて、私の心を打つ。そういう意味でも、これは例外的で卓越した音楽だ。もっとも、 この感動には、しまいこまれた印象の想起、といった側面もあるのかも知れないが)
そして自分がかつて受け取ったもの、否、今でも受け取れると感じられるものと、そうして反省的に捉えられた人間が一致しない。
だから自分にはきちんと聴けていないのではないかという懸念が生じる。もう少し一致してもいいはずだ。
MozartやBrucknerの様な音楽では「ない」のだから、尚更だ。
(従って、今一度、伝記的な像の確認もまた、必要だろう。La Grangeを入手する手配をしたのは、そうした理由による。欲しいのは、作品の解釈ではなく、 生涯の事実。人間像の方なのだ。この場合には。作品像は私の裡にあるのだから。)

偉人伝のシリーズに収まった大作曲家の生涯は子供を欺く。
ラ・グランジュが、モルデンハウアーが、オールリジが、へーントヴァや ファーイが明らかにする作曲家の生は、ちかよればちかよるほど、子供が心に 描いた理想像から離れてゆく。
伝記を読み事実を知ることでわかるのは、自分が音楽の向こうに見出していた主体は、 多少とも自分勝手な投影に過ぎないということだ。
社会的環境、選択された生き方、性格、思想を理解することは、自分が親しんでいる 音楽が産み出された環境が、実は自分とはどれだけかけ離れているのかという認識だ。
(だからといって別に同時代性や、日本の作曲家であることが、距離感を塞ぐことは ありえない。)

コミットメントの重視。主体性。倫理。ここでは命題的とはいえないかも知れないが、 音楽を通じて表現された態度の帰属が問題になっているといえる。
デイヴィドソンの根源的解釈だ。
勿論こうした考え方は、作品を表現の媒体として捉える立場を前提としている。
そして作品には意味がある、という立場を。
だが、マーラーの場合には、そうした立場をとることが問題になることはないだろう。



文化史


時折浮上する疑問
100年前に遠い異郷に生きた天才、セレブリティが一体、私に何の関係があるのか?
だが、それを除いてしまったら、今度は何が残るのか?
否、何かが残る必要などあるのか?
いずれにせよ、懐疑は残る。だが、一方でそれを「無きもの」にすることは多分できない。 そのことはますます明らかになりつつある。 他の音楽が視界から消えたとしてもこれは残ってしまう、唯一かどうかはどうでもいい。 残ってしまうもののうちに含まれることは確かなのだ。

音楽を選択することが逸脱になるかならないか、という基準。
Mahlerのようなケースは音楽を選択することに問題はなかった。音楽家であることには疑問の余地がない。
普通の人間が文章を書くように、音楽を書くことができたに違いない。
但し指揮者と作曲の葛藤はあった。
だが、重要なのは、職業的な作曲家ではないということ。注文に応じた作曲はない。彼は書きたい音楽を 書きたいように書いた。良きにつけ悪しきにつけ彼は職人ではなかった。この点は重要だ。 プロ意識というのも作曲についてはなかった筈だ。(それは自分を作曲家と自己認識するということとは異なる。 彼は指揮者としては、現場の現実から最善のものを作り出す柔軟性をもったプロだった。だが作曲家としては どうだったか。)そのかわり、彼は自分の内面の声には忠実だった。書くものが中にあればこそ、書いたのだ。
勿論作曲の作業は、一瞬の霊感の賜物などではない。だが、生まれつきの音楽家であることに加えて、そのように 日々訓練すれば、流れるものを書き留めるかのように作品を創る瞬間があったのは、不思議でもなんでもない。 普通の人間なら、もっと単純な身体技能のようなものを習得するのと同じようにして、彼は作曲に対したのだろう。
天才神話は不要だ。だが、或る種の技能の習得として、脳の神経ネットワークの訓練の結果として、その創作プロセスを 考える必要はある。そして、その能力は一般に他の能力、人格的な偉大さなどとは、ひとまず別のものとして考える べきなのだ。

当時の聴き手にとってどの様に聴こえたか、というのはどうでも良い。(マーラーの場合はZeitgenosse der Zukunftという キャッチがきいて、ショスタコーヴィチ程は問題にされない―ただし、如何に「受け入れられなかったか」の強調はさんざん行われたが。 実際には、半分は間違っている。生前から、作曲家としても認められた存在であったことは確かなのだ。 ポレミックな存在であったことは確かだが。)

Kuehn/Quanderに収められた図録を見て、疎外感、違和感、時代と地域の差を感じてしまったこと。
私は、そのようには聴いていない。その音楽は、生まれた環境に拘束されたものとしては聴いていない。 私の自分の耳の訓練の歴史に拘束されてはいるが、マーラーの音楽を、歴史的な遺産として聴いているのではない。 マーラーを聴くことは、博物館に行くことではないのだ。

マーラーは大指揮者であったから、マーラーを主題としなくても、文化史の中でのその位置づけを 描き出すことそのものが一つの主題となりうる。
だからマーラーを巡る文化史的研究が盛んになったのは首肯できる。
一方、その結果がマーラーの音楽とどのように関係しているか―同時代における受容史を 含めて、あるいは素材としての、環境としての音楽的文学的哲学的バックグラウンドが 明らかにされることが、曲の理解に寄与するであろうことは別段、否定されるべきことでもない。
だが、それとマーラーの音楽が持っている豊かさを明らかにすることは、完全に一致してしまうことはない。
いくら伝記的事実が明らかになり、作曲者の人となりがわかっても、それが曲の説明になる訳では ないのと同様だ。
勿論、カントやショーペンハウアーを読み、天文学、物理学に関心を示す人物の産み出す音楽は ―前提として、何をその音楽から読み出しうるのかの可能性について―そうした嗜好のない人物の それとは異なっていることには疑問の余地はない。―この違いが無視できるほど作品の中立性と いうのは大切な立場ではない。楽曲分析は、通常、その音楽の特異性を、固有の構造を明らかに しようとするよりは寧ろ、伝統的な既存の道具により、逸脱を、ルール違反を検出する。
勿論、ルール違反にプラスの価値を与える様な符号の逆転はありうるが、結局、その音楽の 特徴は、ネガティヴな距離によってしか測れないことが多い。
マーラーその人が音楽学者の分析を嫌ったのは、それが内容・形式の二分法を持ち出して、 内容を置き去りにすること、そして、形式はといえば、それを適切な言語で記述できないことへの 苛立ちがあったに違いない。
その証に、内容のほうについてだって、標題や解説の類だって、拒絶の対象になっている。
それよりは「直観」の方が、音楽に虚心に耳を傾けて得るものの方が信頼できると考えるのは ごくまっとうな反応だろう。
だが「直観」を語るとき、それに応じた語が、形式が必要なのだ。
Adornoがした様に、それは対象に応じて、その都度、用意されねばならない。
してみればAdornoは出発点では少なくとも間違っていない。問題はその分析の目的、 最終目的が結局、マーラーをそれが産まれ出た文脈に還元してしまいがちな点だ。
作品が、時代を超えて(永遠に、とは行かなくても)生き続けるという契機を、それは軽視しすぎている。

一方で、受容史というのも、今度は個人の聴体験を、その経験の背景にある文化的社会的な文脈に還元して しまいがちである点で、生産の極での社会学的研究と五十歩百歩だ。Adorno風の観相学こそ可能ではないが、 例えば演奏会評をコーパスとした研究等がそれに近いものとして可能になるだろう。
だが、それは作品と作品を聴く体験の現場については語らない。
研究としては重要なのだろうが、それによって音楽が語るものに近づくことは難しいだろう。
せいぜいが―どんなに優れたものであっても、アナール派の歴史学が可能にしたような、あるいは 構造主義的な社会科学が可能にしたような、機能主義的な説明の水準にとどまり、個別的な経験の質は救えない。
これは意識の哲学におけるハードプロブレムと丁度並行している。だが、クオリアを 捉えようという企ては―Negelのような不可知論者はいるが―全く手段がない訳ではない。
それと同じことが音楽を聴くことで得られる経験についても言える筈だ。
他の音楽はおくとして―このレベルでは音楽一般というのを語るのは多分不可能だ―マーラーの音楽に限れば そうした企ては正当化されうる。逆にそういう音楽でなければ、結局、興味を持つことができないのだ。

ありきたりの楽曲分析では不充分だ、というAdornoの発言は正しい。
だが、だからといって作品から創作の現場に飛躍できるというのは正当化できない。
Adornoのあの理念の歴史としての社会的背景の解読の観相学の性急な図式化の部分は幸い、その後の研究により 中性化され、より実証的な(装いをもった)文化史、社会学的な研究が主流になった。
だが、伝記が作品へと辿り着けないのと同じで、そうしたマーラー研究も作品には辿り着かない。
桜井のマーラー研究が熱意と実証精神にあふれる素晴らしいものであったとしてもそれは作品には到達しない。
否、de La Grangeすら―彼は作者と作品の結びつきを主張することについて、少なくとも権利上は最も大きな 権利を持っているはずだが―それは一筋縄ではいかないことを語る。
Mitchellの生成史もそうだ。

結局、もう一度、楽曲分析の近傍まで戻らなくてはならない―実のところAdornoの論の説得力は、それが作品の 分析に基づいていることによる。―そしていわゆる楽曲分析の伝統的な道具ではない、もう少し認知心理学よりの 道具を整備して、しかもAdorno的な観相学のイデオロギー的な部分を除去して、楽曲を聴くことで生じることを 明らかにすることが必要だ。
勿論、伝記も社会学も文化史も結構、プログラムも結構だが、それを作品と混同してはならない。
記号論的に中立な作品というのはそれ自体抽象かも知れないが、だからといって作品と背景とを無批判に 結びつけるのは問題がある。何といっても作品は作者でもないし、背景となった文化的社会的事象そのものではないのだ。
少なくとも、存続して、時空を横断している限りでは、そうした「地平」「環境」とは別のものであることは確かだ。
引用もまた、そうした「環境」を指示することしかしない。それは作品ではなく、作品の出自を指示するだけだ。



マーラーのどこに惹きつけられたのか

「自然の音」と「対位法」が、私がマーラーに強く惹きつけられた要因であることは疑いない。
最初に聴いた第1交響曲には「巨人」という標題がついていることや、それにまつわる様々な議論を知るのは後のことで、 私はその音楽が「自然の音」を含んでいること、それから何よりその対位法的な書法に強く惹きつけられたのを はっきりと記憶している。私はもともと非常に強い線的な発想や嗜好を持っているようで、小学生の時分に 見よう見まねで試みた作曲も、対位法の規則を知る以前に、自由な拍節感で複数の旋律線が絡むような類の ものだった。そうした私にとって、マーラーは最初にまず「対位法」の作曲家だったのである。
単に線的というのではなく、常に複数の旋律が独立性を持って響いていることが重要で、モノディ的な線の展開や オルナメントには関心は無かったし、旋法上、和声法上の新奇さにも関心がなかった。管弦楽法の巧みさにも 魅了されただろうが、それもそうした線をくっきりと浮び上がらせる方向性あってのもので、純粋に音響的な効果にも 関心がなかったし、色彩の合成によって得られる多彩さにもほとんど関心がなかった。それよりは複数の線の 表情の交代や対照の鋭さのようなものに強く魅せられたように思う。


マーラーと「映画」。「ヴェニスに死す」は映画も原作もだめ。ケン・ラッセルの映画は日本で公開された時に映画館で 見たが、これもだめ。強い反撥と拒否反応。むしろ、流れていた音楽、ハイティンクがコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したものだったと思うが、 こちらの方が強く印象に残った。従って、その後、マーラーにちなむ映像作品、バレーなどは見ないことにしている。
映画といえば、会社勤めを始めてからしばらくして、寮生活をしていた時分に、休日の昼間の誰も居ない寮の食堂のテレビを 何気なくつけたときに偶々やっていた映画で、マーラーの第9交響曲の第1楽章が使われていたので、しばらく観ていた記憶が ある。モノクロの映画なのか、それともカラーなのかもわからない。雪に閉ざされた山小屋が舞台で、何かの抗争が行われていたのだが、 映画自体は私にとっては全く興味をひかないものであったので、プロットは全く記憶にない。雪に閉ざされた山小屋を外から 映したショットと、山小屋の内部のショット、そしてSibeliusのIV-1とMahlerのIX-1が交互に流れていたということしか覚えていない。

マーラーについての「私の場合」。旋律や主題だけでなく構造におけるまで記憶されている点が特殊。 実はソナタ形式の様な動的な発展を含む形式の方が、構造や音楽の経過を覚えやすい。 マーラーの場合なら、スケルツォ、レントラーといった静的な形式の方が楽章全体の流れを追いにくい。 (時間論的にはDa Capoのある音楽は、静止していると言える。) 心理的にDa Capoの持つ意味は面白い、それはトリオで切り替わった文脈の流れの再中断、元の文脈の復帰だ。 (もっともこうした捉え方は、古典派の作品に対しては―ロマン派的な遡及読みをするのでなければ― 困難だろう。それが可能なのがマーラーの特質なのだとも言える。) ソナタにおける再現部はマーラーの場合、展開の論理の優越により、文字通りの再現ではない。

いずれにせよ、すべての曲のすべての楽章を思い出せること、各楽章内の構造の記憶があること、 これは他の場合には当て嵌まらない。

Mahlerの音楽は実際には私にとって他者だ。 XenakisもTakemitsuもしかり。でも他者というのも必要なのだ。外に向かって歩みだすには。

私にとって、Mahlerは夏の音楽かも知れない かつてそうだった様に けれどもMahlerその人にとっても、自分の音楽は夏のものだったのだ、、、 だからそれは決して無意味ではない。 たとえ気候や風土がこれほど違ったとしても。

Mahlerの音楽ほど自分自身の経験上のリファレントが少ない音楽は珍しい。 まるで外界に対する反応としてではなく、あくまで内側の感情の動きの側にあるようだ。 大地の歌の告別、第1交響曲の冒頭(これが日本の盛夏の連想になっているのが奇妙だ)第6交響曲のアンダンテ(ただしこれはあまり強くない) 第10交響曲の5(これもそう)等、どちらかというと、ある個別の、時点と場所の座標が特定される経験に連想付けられたものであって、経験や 認知の、感受の様式となっているとは言い難い。
(例えばSibeliusや、Takemitsuの方が、それに相応しい)
*これは本当か?五十歩百歩ではないか、、、
Mahlerの音楽は奇妙に場所を持たない。(これは、現実の風景でない、仮想の光景への連想を持たないといった程度の意味だ。) それはMahlerが生きた環境と無縁の場所と時に生きているからかも知れない。 (否、むしろSibeliusの方が特殊なのかも知れない。Takemitsuは同時代の日本の作曲家だから、こちらはある意味では自然だ。)

寧ろこう言うべきか?
ある風景、ある光景と連想付けられる様なことは、ある年齢までにしか起きない。事故が形成途上で、可塑性の高い時期にしか。 実際、ある時期以降、同じ音楽を聴いても、恐らくその音楽がつくられたであろう文脈の気配や雰囲気を強く感じるようになっていて、 それ故、それらは自分にとって他者性を帯びたものになっている。 自己の経験の、自己の一部として同化してしまうということが無い様だ。

それでもMahlerのある音楽(子供の死の歌、大地の歌、第10交響曲)は、そうした経験と、別の種類の結びつきを持っている。 それはそれで稀有なことではある。

自己の一部として同化するということは、誤解、強引な読みを伴うだろう。 第1交響曲の序奏が日本の盛夏と結びつくなどどいうのはそれの最たるものだろう。 けれどもそうした我有化は、実際には例外的な出来事で、簡単には起きない。

MahlerとSibelius(交響曲のみ)、Webern、実際には最初にはFranck、そしてずっと遅れてショスタコーヴィチ。 Mahlerは、ある個別の時点での経験への固着が強い。 Mahlerは寧ろ、Franckのような、外部を持たない内面の音楽として受け止めている部分もある。

音楽ではなく、音楽外のものとの情緒的な結びつきが、人を感動させるとしたら、それは音楽を聴いているのではない。 Mahlerについて、ある部分それがいえる。 逆にMahlerをそうでない様に聴く、新鮮な耳で聴くことは困難だった。(今でもその困難さはなくなった訳ではないが。) けれども、今やそうした連想から離れて聴く事も不可能ではない、と。 しかしそれにしても、音楽外的なものを(己の私的な経験は除外しても)完全に無にするのは困難だろう。 (ジュリーニの演奏のあの―自分では見たことの無い―風景の生々しさを考えよ。)

Mahler、生きる意志、少なくとも糧にはなる。IX、そして大地の歌、否V-2やVIも。
今朝、夢の中でII-5の最後の部分が流れた。
テンポは自分がコントロールしていた。とても速いテンポで最後まで到達する。
II は、意識のレベルでは、ずっとずっと疎遠だ。なのに何故?途を歩いている。緑の鳩が横切る。その羽は 杉のような針葉樹の木の葉のようだ。

かつて、私は無人の沈黙する自然のうちにいた。そこには他者はいなかった。
かつてマーラーを聴いた私は、何を聴いていたのか?
今、私は他者がいる世界にいる。他者がいる世界では、自分の行為は(無作為も含めて) 他者への働きかけ(やその欠如)として測られる。すでに倫理的な空間。(cf.Levinas)
今、マーラーを聴く私はかつての私ではない。マーラーは世の成り行きには出会っていたが、 他者に出会っていたのだろうか?
かつての私のほうが、寧ろマーラーに相応しい聴き手ではなかったかという疑問は残る。
ただし、自意識がなければ、常に行為は無償で、結果は偶然だ。
(自)意識がなければ、倫理はない。倫理はメタレベルの推論を要求する。
スマリヤン-津田のレベル4の推論者。逆に、レベル4の推論者は、すでにあらかじめ倫理的な 存在なのではないか?
だが、それもまた、他者が世界に存在してのことだ。
確かに、レベル4の推論者でなければ、その世界には「痛みを感じる」他者はいない。
だが、無人の沈黙する世界に、「美しい」自然のうちにいるときは?
そのときは、実はレベル4の推論者は「消滅」しているのだろうか?



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