グスタフ・マーラー Gustav Mahler (1860-1911)・作品覚書(3)第3交響曲


交響曲第3番

交響曲のフィナーレにまつわる問題、即ち、どのように交響曲を終わらせるかという問題は、交響曲が成立した時点では 恐らく想像だにしなかった問題に違いない。例えばハイドンやモーツァルトの交響曲のフィナーレが問題視されることはなく、 いつの間にか「結論」としての重みがフィナーレに求められるようになって以降、それは単なる舞い納めでは済まなくなって しまったようなのだ。

マーラーが「フィナーレ問題」に腐心したのは確かなことだが、それに対する自覚的で明確な回答を与えることが できたのは、第3交響曲をアダージョで終わらせることにした時であろう。勿論、ただちに、それに先立ち完成した 第2交響曲の、先行するどの楽章よりも長大なフィナーレはどうなのか、という問いが浮かぶだろう。 だが、第2交響曲の成立史そのものが、最初に成立した第1楽章の後をどのように続けて、どのように終わらせるかの 暗中模索の歴史そのものであったこと、ハンス・フォン・ビューローの葬儀に霊感を受けて、といえば聞こえはいいが、 要するに、思いつき、ひらめきの類で全曲の構想が後から定まったこと、更に致命的なことには、そのフィナーレは 構造的には些か行儀が悪いことを考えた時、あまたのプラン変更はあったとはいえ、第3交響曲においてようやく フィナーレの問題を決着させることができたと考えるのが妥当だろう。残りの5楽章すべてを第2部として、それと ようやく釣り合う破格の規模を持ち、単独で第1部を構成する巨大な第1楽章を持ちながら、第3交響曲の フィナーレであるアダージョは、マーラーの交響曲の中でも最も大規模な構想を持ったこの交響曲の締めくくりに 相応しい。アドルノの用語を借りて言えば、心理的に「充足」に相当するものをフィナーレに持ってくるというのが、 解答の一つの方向性であり、第3交響曲はまさにその典型例と考えられる。第6交響曲のフィナーレは もう一つ別の方向性での回答であり、更に第3のタイプとして、「大地の歌」以降、第9交響曲、第10交響曲の それ(とはいえ、実質は三者三様であり、単純な類型化には危険が伴うが)と、マーラーはその後もフィナーレの 問題に対して、ユニークな答えを生み出していくことになる。

その一方で、この第3交響曲はマーラーがさんざん弄り回した挙句、まるで登ったら不要になった梯子のように 最後には放棄してしまった標題を手がかりに、いわゆる「世界観音楽」の代表のような扱いを受けることが多い。 そこに見られる或る種の進化論、物質的なものから精神的、神的なものへと階層をなす世界観は、同時代の 人びとはおろか、100年後の今日の日本においてさえ、或る種の人を大いに魅惑するようで、ここにマーラーの 交響曲を理解する鍵があるといわんばかりの解説が為されたりもする。挙句の果ては、何を手がかりにしたものか 「円環的構造」の存在が主張され、それをニーチェの永劫回帰と結びつけるなど、見ようによってはやりたい放題で、 マーラーが最終的に標題を捨てたのも無理はないと、反って納得してしまうほどである。マーラーの音楽には、 音楽外的な参照が豊富にあるがゆえに、音楽の内容や実質そっちのけの議論が行われる危険は大きいが、 この第3交響曲は、さながらそうした傾向の最大の被害者と言えるだろう。

もちろん、マーラーが音楽によって「世界を構築」しようとしたこと、音楽を媒体にして何かを定着させようとしたこと、 何物かに命じられて書きとらされるかのような姿勢をもっていたことは確かであろう。だが、ベクトルの向きには注意すべきで、 くだんの稚拙な標題にしてからが、「~が私に語ること」であって、作曲する私は聴き手の立場になっているのだ。 シェーンベルクがプラハ講演で第9交響曲について述べた、作曲の主体は「メガフォン」に過ぎないという発言もまた、 比喩以上のものに違いなく、更に、第9交響曲のみがそうであるわけではない。マーラーの音楽には主観的契機とともに 客観的な契機もまたはっきりと存在し、結果としてその音楽を単純に主観的な独白と見做すのは、それを世界観なり 思想なりの「表明」と見做すのと同様、実質を損なう捉え方に思えてならない。要するにどちらも作曲する主体の モデルについてロマン主義的な単純化した見方をしている点では共犯関係にあると言って良いのだ。そしてそれは 裏返せば、作品と人との関係についてもまた、ひどく単純化したモデルを前提に議論しているということでもある。 マーラーは際立って意識的な人間だったようだから、そうした点についても至って自覚的だったようだし、作品が常に 自分をはみ出していくことについても充分に意識的であったようだ。常には大言壮語の類として呆れ顔で片付けられる、 ブルノ・ヴァルターに対して語ったとされる「もう作曲してしまったから、風景を見るには及ばない」という言葉さえ、 晩年にナイアガラの瀑布を見てベートーヴェンの交響曲と比較して言ったとされる言葉とともに、芸術至上主義の、 自然に対する芸術の優位を主張する傲慢さを見るよりも、音楽作品のあり方の不思議さを示唆するものと 考えるべきではないか。作曲はマーラーにとって「神の衣を織ること」であったらしい。だとしたら音楽作品は、 神の衣、それ自体が世界の一部なのだ。「世界を構築する」ことは、そうした文脈の中におかれて理解されるべきなのだ。

*   *   *

形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの)
第1楽章(ソナタ形式) 序奏『起床の合図』「力強く、決然と」110d
第4楽章予示「速度を緩めて」(ミステリオーソ)1123
行進曲リズム2326
葬送行進曲「重く、うつろに」2756
『起床の合図』後節「動きをもって」57128
(第4楽章予示「ひきずることなく」)(83)(98)
行進曲リズム128131
『牧神は眠る』「同じテンポで」132147B-Des-D
『先ぶれ』(遠方からの音)148163-Des
葬送行進曲+『起床の合図』後節「遅く、重く」164224d
(『牧神は眠る』)「テンポI」225236B-Des
(『先ぶれ』)(遠方からの音)「次第に動きをもって」237246-C
行進曲「遠方からのように」247272F/a
呈示部「夏が行進してくる(バッカスの行進)」273350F-D
小結尾(第6楽章予示)351368
展開部『起床の合図』後節369449d-es
(第4楽章予示)(398)(405)
(『牧神は眠る』)450462-B-D
行進曲予示I「遠方からの音」463491F
同上II(小結尾旋律)492529Ges
『行進曲』「同じテンポで(行進曲)急がず」530642
『無頼の徒』539582b-es
『戦闘開始』583604C
『南方の嵐』605631Des
経過句(行進曲リズム)631642
再現部序奏主題再現「最初と同様に」643654d
第4楽章予示「速度を緩めて」(ミステリオーソ)655666
行進曲リズム667670
葬送行進曲+『起床の合図』後節「遅く、重く(しかしさりげなく)速度を緩めて」671736
「テンポI」(再びすべて遠方から近づきつつ)行進曲(呈示部再現)737845B-F
小結尾(第6楽章予示)846862
ファンファーレ863875
第2楽章(メヌエット) 主部IA「メヌエットのテンポで、とても中庸に急がず!」119A
B2033
A'3449
トリオI3/8「同じテンポで」5069fis
4/27078
9/87990e
主部IIA「ア・テンポ(最初と同様に)」90108A
B109125
A'126143
トリオII3/8「同じテンポで」114157fis
4/2158191gis
9/8192209D
経過句210216As
主部IIIA「即座にゆったりと(最初と同様に)メヌエットのテンポで」217232E
B233242
A'243259A
コーダ260279
第3楽章(エピソード付の二重変奏) A歌曲前半「コモド、スケルツァンド、慌てずに」133c
歌曲後半3467C
B「同じテンポで」68120
A変奏1歌曲前半変奏拡大「再びとてもゆったりと、最初と同様に」121175c
歌曲後半変奏176210C
B変奏1211228
経過句(Aによる)「少し、しかしはっきりと遅くして」229255f
C(ポストホルン・エピソード)『郵便馬車の御者』「とてもゆったりと」256346F
(Aの挿入「テンポI」)(310)(321)(f)
A変奏2「テンポI、秘密めいて慌しく」347373-c
「陽気に」374431F-c
B変奏2「粗野に!」432465C
経過句466484
A変奏3「再びいきいきと最初より速く」529556-es-des
コーダ「即座にテンポI(急がずに)」557590C/c
第4楽章 前奏(「おお人間よ」)「とても遅く、ミステリオーソ.ppp」117D/d
詩節前半(「こころせよ」)「とても遅く」1857
オーケストラ間奏「とても幅広く、ゆっくりと」5881
(「おお人間よ」)「テンポI」8293
詩節後半(「世界の痛みは深い」)「最初と同様に」94131
オーケストラ後奏132147
第5楽章 詩節第1節「快活なテンポで、表情ははずんで」121F
第2節2234
第3節「テンポを緩めて(さりげなく)」3564d
(「天上の生活」予示)(43)(46)
(「天上の生活」予示)(56)(60)
鐘とオーケストラ間奏「オーケストラ全体はずっとゆっくりとしだいに強く」6577
第4節7893
第5節94107
後奏107120
第6楽章(二重変奏) 第1部分主部「遅く、落ち着いて、感じて」140D
経過部「もはやそれほど幅広くなく」4150fis
副次部「もう少し動きをもって」(テンポの上昇はすべてさりげなく)5162cis
主部+第1楽章動機「急がずに」6391-F-g-d
第2部分主部変奏1「テンポI、落ち着いて!」92107D
主部変奏2「とても歌って」108123
経過部「もはやそれほど幅広くなく」124131d
主部・副次部変奏1132148cis-F/f
経過部「(ひきずることなく)」149156es
主部・副次部変奏2「とても情熱的に」157167
主部変奏3「前より少し幅広く」168197H-Es-D
(第1楽章・第4楽章回帰)(180)(185)
第3部分主部変奏4「テンポI」198219D
第1楽章動機220244-g/G
第4部分主部変奏5「遅く」~「とても遅く」245299F-D
コーダ300328

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形式の概略:第1,6楽章のみ(de La Grange フランス語版伝記第1巻Appendice No.1)
1. Kräftig. Entschiden 力強く、決然と序奏126 主題I(自然の不活発さ)。その長調‐短調のカデンツは非常に特徴的であり、第4楽章で再び現われる。(自筆譜の行進曲主題の冒頭には「目覚め」と書かれている。)d/D
提示27131主題(あるいはグループA):「重く、うつろに」、この楽章で後にそれぞれ別々に用いられ、ついで他の 楽章でも再現される幾つかの短いモチーフと最初はトロンボーンに、ついでトランペットで再現する長いチェロのレシタティーヴォを含むd
132163A'と組み合わされたA(バッソ・オスティナートとして用いられる)d/D-Des
164224「ゆっくりと、重く」 Aの変形された再提示(トロンボーンのレシタティーヴォ)d
225253Tempo primo 移行の2番目のパッセージ(最初と同じモチーフ)D-Des-C
254368第2グループ(B):付点リズムによる勝ち誇った行進曲(「夏」。B, B' 主題I(不活発さ)、長調での勝ち誇ったバージョンはその後終結主題に 変化する(練習番号28)F-D-d-c-es-e-...
第2提示369454Iの最後のモチーフにより導入されるグループA(レシタティーヴォは ホルン、トランペット、トロンボーン、最後はイングリッシュホルンによって繰り返される)d/D-E-F-es
455491移行(以前と同じモチーフ)、D-H-F-g-Des
492529短縮され、変形されたグループBGes
展開あるいは第2セクション530642「まだ同じテンポで(行進曲)」自筆譜の539小節にマーラーは「無頼の徒」 と、また583小節に「戦闘開始」と記した。605小節には「南方の嵐」と書かれている。グループB由来の様々な主題やモチーフb-es-C-Des
再提示643670「最初と同様に」:カデンツつきの導入d
671736「重々しく」:グループAとトロンボーンのレシタティーヴォd
737862Tempo primo :Bの再提示、行進曲のエピソードF
863875「切迫して」:13小節のストレットによるコーダF

6. Langsam Ruhevoll. Empfunden ゆっくりと、安らぎに満ちて、感動して提示140 主題A(最初に同じ上行する4度で始まる3つの異なるフレーズよりなる)D
4150「もはやそれほど幅広くなく」主題B(分割された弦)fis
5191「もう少し動きをもって」バスでの主題B'(常に少しずつテンポが速まる)、BやAの断片だけでなく、第4楽章で既に現われた第1楽章の トロンボーンのレシタティーヴォの引用とともにcis-F-g-d
92107「安らぎに満ちて」変奏された主題AD-fis-D
108123「とても歌って」主題A(上声の新たな対旋律とともに)D
124131「もはやそれほど幅広くなく」h-d
132148A Tempo 主題B'(Aの断片とともに)cis-F/f
149167主題B(新たな対旋律とともに)aes-es-Des
168197「前より少し幅広く」Aの新たなヴァリアント(第1楽章の最初の行進曲から借用され、第4楽章の ニーチェの歌曲でも引用されたG-A-Bのモチーフとともに)E-Es-D
198251Tempo primo 変奏された主題A、短調での「苦悩の」トゥッティでの第1楽章のレシタティーヴォを喚起する断片に至るD
再提示252295「とてもゆっくりと」:主題Aのトランペットによる忠実な再提示 (トロンボーンでのバスの対旋律とともに)が徐々に壮大な最後のトゥッティに至るD
296328コーダ:主題Aが徐々にその主要モチーフに還元されていく(最後の13小節は、マーラーがそれらを変形するものの、属音と主音を低弦とティンパニが 絶えず打ち続ける中でオーケストラによって奏される長大な主和音でしかない。)
(2008.9.28, 2009.8.13/14 この項続く)

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(2008年9月作成)