これはマーラーがウィーン宮廷歌劇場の監督に任命された折のナターリエ・バウアー=レヒナーの回想に含まれるマーラーの言葉である。指揮者、劇場の 管理者としても間違いなく有能であったマーラーがこうした言葉を残すことに或る種の訝しさを覚える向きがあるのは承知しているし、こうは言いながら、 数多の成功とそれに見合った名声をマーラー自身が楽しむ瞬間がなかったわけではないのは当然のことであろう。だが、そんなに目くじらを立てる程の 話でもないという見方もできるだろう。ウィーンの歌劇場の監督の発言、 大作曲家マーラーの発言だから読む人に立場によって様々な反応をもたらすのだろうが、内容を多少置き換えてしまえば、今日のありふれた 管理職の愚痴と大きく変わることはないのだから。随分いい気なものだとも言えるし、有能だけれども独断的な、部下になってしまえば一将功成りて万骨枯るタイプの 嫌な上司だったのではと思う人がいても仕方ないかも知れない。その一方で、程度の差はあれ、組織を任されて結果を出すことを求められる 同じような立場の人間であれば、このようなことを思うのはそんなに特殊なことではないという見方もあるだろう。誰もが自分の能力をそれなりに恃んで 努力するしかないし、結果の方はうまく行くこともあれば、失敗に終わることもあるという点は別に変わるところはない。そう思えばこうした述懐は、 天才神話に彩られているマーラーの普通の人間にとって最も親しみやすくわかりやすい 側面であるとさえ言えるかも知れないのだ。仕事から逃れた先が非生産的な余暇ではなく、そちらこそが神の衣を織る営みとなった作曲であったから結果的には 事情は異なるものの、そうでなければそれすらありがちな趣味への逃避に過ぎず、それなら凡人にも理解できないことはなさそうである。実際に生前の マーラーに対しては、作曲は些か度を越していて、それゆえ傍迷惑な楽長の道楽という評価もあったらしいのである。
彼が後に歌劇場を去る時に残した「手紙」を知るものは、この言葉がその内容に微妙にこだましているのに気づくだろう。 実際、マーラーはこの言葉の通り、ウィーン宮廷歌劇場の監督の仕事に見切りをつけて「おさらば」することになるのだ。年金の方は交渉の結果、 支給の権利を得たのであったが、それでも彼は文字通り「命まで消耗し」ながらも更にアメリカに渡り、創作活動に戻るための資金を稼がねばならなかった。 その結果、計画の途中で病に倒れて生涯を終えることになり、引退の夢は果たされなかったのは気の毒なことだと思う。だがそれとて、スケールこそ 違え良くある顛末ではある。寧ろそれだけに一層身に詰まされると感じる向きも少なくないだろう。
私が上記の言葉で個人的に印象的だったのは、それが単なる愚痴ではなく、自分の仕事が持つ制度上の問題についての認識が述べられていること(これは 彼の一貫した主張であったらしく、後に辞任の折にも繰り返されることになる)、そして更に、どんなに熱心に取り組んでも結局は「目的も成功もない」類の 仕事があるのだという、これまた冷静な認識が語られていることであった。 マーラーは凄まじい集中力と能力を持って、人並み以上のことを成し遂げることができたというのに、一方ではそうした営みを客観視する視線を備えていた。 もちろんそうした冷静な認識の中には、己の能力が如何ほどのものであるかについてのそれも含まれていて、彼は自分の能力を自惚れて過信することもなかったし、 その一方で過小評価することもなかったのだろう。作曲についてもまた然りで、その価値を信じ続けることができたのは、冷静な自己評価があればこそ だったに違いないのだ。
そしてそうした二重性はその音楽に刻印されているものと本質的には同じものに思われるのである。反省する意識の介在、メタレベルの存在というのは マーラーの音楽の持つ際立って重要な特徴の一つだと思うのだが、それはマーラーその人のあり方、物事の受け止め方と非常に密接に結びついたもので あったように感じられるのだ。そして更に、そうした複眼的で反省的な物の見方が、驚くべき素朴で純真な心のあり方と共存しているのもまた、マーラーの 特徴なのだが、ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想のこの件を読んだ人は、その最後のところでそうした側面、マーラーの音楽を聴くとふと出会う、あの 表情を見出して胸を突かれることになる。最後にナターリエは、彼女がマーラーと連れ立って歌劇場の前を通り過ぎようとしたときに彼が以下のように 言ったのを記録しているのである。そう、これがマーラーなのだ。(2009.4.30)
"Daß ich da als Haupt und König herrsche, ist doch wie ein Traum !"
(c)YOJIBEE 2009