グスタフ・マーラー Gustav Mahler (1860-1911)

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歌詞についての概観

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歌詞についての概観

マーラーの作品は歌曲と交響曲がそのほとんどを占めている。 一般にはマーラーは第一義的には交響曲作家であり、また勿論そうした見方は間違って いないが、だからといって歌曲の重要性が看過されるべきではないだろう。

常にあってはかけ離れた、相容れないとすらいえるような二つのジャンルの間の 融合は、歌曲の旋律の交響曲での引用、交響曲楽章への歌曲への嵌め込みを経て 最後には大地の歌という交響曲的な構想をもった連作歌曲集へと至る。 しかし歌曲の側でも、さすらう若者の歌、子供の死の歌といった連作歌曲の流れが あってこそ、大地の歌のようなユニークな形式が生み出されたのだと思われる。

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そこで本ページでは、マーラーが素材とした歌詞をまとめたい。幸い、マーラーに 関しては著作権の問題で原詩の掲載を控えないといけないようなケースというのは ないようなので、その全貌を提示することが可能である。 上述の理由から対象を歌曲に限定するのもマーラーの場合には意味がないので、 交響曲楽章で合唱により歌われるものも含めることにする。外延を嘆きの歌、 3つの歌から大地の歌までの作品とすると、曲数にして60曲程度になる。

なお、本ページの方針として、原詩の背景には(マーラーの自作のケースを除けば、 作者が誰であるかということも含めて)重点をおかない。そうした研究は 数多くあるし、勿論有益だろうが、私見では結局のところ詩というのは素材、 出発点に過ぎない、特にマーラーの場合に限って言えば、優れてそうである言いうる というのがその理由である。

ただしマーラーが施した改変に一定の留意をすべきなのは当然だろう。作曲者の 意図は達成されたものとは別だとはいえ、それは原詩の背景を調べることとは 自ずと次元が異なると思われるし、詩を(かなり気侭に)改変するという スタンス自体が、マーラーの特徴の一つといってよいからだ。

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自作の詩に音楽をつけるのは、ジャンルを問わねば別段驚くべきことでも無いはずだが、 実際にはクラシック音楽の文脈ではマーラーの特徴の一つに数えるべきで、 破棄されたオペラのリブレットも含め、影響関係を論じるならばまずはワグナーの 影響が問題になるのかも知れない。 しかし自作の詩への作曲はある時期を境に途絶えてしまう。それに対し、 歌詞の改変はほとんど改作といってよいクロップシュトックの復活の賛歌の敷衍から、 カトリックの著名な賛歌である「来たれ創造主なる聖霊よ」のパラフレーズを経て、 「大地の歌」の「告別」まで続く。「復活」がそうであるように「告別」もまた、 その改変の程度たるや、実質はベトゥゲの詩を下敷きにした自作の詩と呼んでも いいくらいの徹底ぶりで、そうした詩への介入の程度から見ると後期作品は 初期作品に通じるものがあると言ってもよいくらいに思える。もっともそれ以外では 原詩に忠実であったかといえば決してそんなことはなく、子供の魔法の角笛に 対しては削除、追加といった改変をかなり自由に施して作曲している。

歌詞を素材と見なすこうした態度について裏付けとなるマーラー自身の言葉が あるのはよく知られているが、それを踏まえて言えば第8交響曲の第2部のみが 「言行不一致」の例であるかも知れない。要するにゲーテのファウストへの 作曲というのは、シューマンやリストの先例があるかどうかに関わらず、何より マーラー自身にとっての「例外的な」ケースだった。そして、どう取り繕った ところで第8交響曲の第2部が、マーラーが介入を最小限に控えたゲーテのテキストに 強く拘束されているのは否定しがたいように思える。(とはいえ、例えばシューマンと比べれば、 マーラーはここでも自由に振舞っていると言える。「音楽に詩をあわせる」ための 語句の変更、移動、繰り返しは多く、それらはしばしばゲーテの元の詩の韻律を 壊してしまう。それだけではなく、「熾天使の教父」の語りを全く省略してしまうことで、 後続する「昇天した少年たち」の歌の意味合いを変えてしまうことまでしている。 だがそれでも巨視的に見てゲーテの詩句が音楽の構造を決定していることは 明らかだと思う。) その音楽のそこここに底知れぬ力を放つ瞬間があるのを否定するつもりはないが、 それが瞬間の積み重ねに過ぎず、例えば第1部のあの(些か退行的なのかもしれないが、 それでもなお)緊密な構造に比べても、内容から形式を鍛造する、 あのいつもの動性がその音楽に感じられないのもまた、否定できないように 私は感じている。

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なお詩の掲載にあたっては、手元にある資料、CDのリーフレット類や、Webの 以下のサイトに依拠した。マーラーによる改変についても、私は直接原典に あたって確認できる環境にはないので、同様に二次資料に依拠せざるを得なかった。 特に「大地の歌」については、ベトゥゲの原詩とマーラーの改変のみならず、 ベトゥゲの「種本」であるハイルマンの詩集、その元のエルヴェ・サン=ドニの詩集と ユディト・ゴーチェの詩集、更におおもとの漢詩まで辿る研究が存在するが、 ここではマーラーが参照した原詩とそれに対してマーラーが行った改変に限定して 編集を行っている。詳細を知りたい方は以下の参考サイトをご覧になっていだだくのが 良いと思う。

従って、知見の多くはそうした先行研究やサイトに拠るものだが、異同も 少なくないため、少なからず自分の判断で取捨選択を行わざるを得なかった。
本ページに意義があるとすれば、マーラーが音楽をつけた詩が一覧できるということに 過ぎないかも知れないが、現実にそうしたWebページが他にはない以上、何かの役に 立つこともあるのではないかと考えている。

また、こうしたページの場合には、誤字の類はないように万全を期するべきだが、 つきものであるのが現実であろうと思う。もしお気づきの点があればご教示いただき たく、お願いする次第である。

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一方で、歌詞の翻訳はこのWebページの作成者の力量に余るということで断念しており、 今後も検討対象として扱うときに必要に応じて試訳をすることはあるかも知れないが、 網羅的、包括的な訳詩を行う予定はない。

そもそもWebには、以下でも紹介している梅丘歌曲会館「詩と音楽」の ような素晴らしい訳詩と的確な解説が為されているサイトが既に存在しており、私も参考にさせていただいている。従って、訳詩を必要とされる方には、 そちらを参照されることをお薦めすることにして、ここでは原詩などの資料を掲載するに留める方針とする。

なお、当Webページの歌曲の訳題についても順次、従来の訳詩よりも適切と思われる 梅丘歌曲会館「詩と音楽」のものに準拠するよう変更する予定でいる。梅丘歌曲会館「詩と音楽」で扱われているのは49曲(「大地の歌」を含む)。 詳細はグスタフ・マーラーのページを ご覧になっていただければわかるが、マーラーのほぼ全ての歌曲の歌詞とその対訳を参照することができるようになっている。 参考までに、梅丘歌曲会館「詩と音楽」での訳題を以下に掲げておく。 (2010.7.18/19, 8.16, 9.2, 11.6追記)

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<参考サイト>


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(2005年7月作成)