グスタフ・マーラー Gustav Mahler (1860-1911)・雑文集


ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第9回定期演奏会を聴いて(2012.6.30)

ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第9回定期演奏会
2012年6月24日 文京シビックホール 大ホール

マーラー 交響曲第9番ニ長調

井上喜惟(指揮)
ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ

ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第9回定期演奏会が本来なら1年前にミューザ川崎で開催される予定であったこと、それが3.11によって、 1年延期になったこと、その結果として演目である第9交響曲の初演(1912年6月26日にヴァルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で行われた) からちょうど1世紀後の開催になったことは、このコンサートに関わった人間にとって忘れることができない記憶となるだろう。そして間接的とはいえ、私もまたその中に 含まれることになるだろう。少なくとも2012年6月24日の文京シビックホール大ホールでの演奏に立ち会ったものとして。 直接の原因は演奏会場であるコンサートホールが被災により物理的に利用不可能になったからだが、この1年の延期は3.11という出来事の持つ 重みに相応しいものと私には思われる。第9交響曲が演目として選択されたのは3.11の前であって、だから演目の選択は偶然なのだが、それでもなお、 3.11を想起し、再認し、それによって記憶するために行われたかのような演奏会に、これもまた相応しいものと私には思われる。

前回の2009年6月の第8回定期演奏会に立ち会うことによって20年ぶりにコンサートホールでマーラーを聴いた私にとって、第9回定期演奏会の中止は それだけで意気を喪失させるに足る出来事であり、1年後のコンサートに足を運ぶことについても様々な事情により当日まで迷ったのだった。そして これもまた専ら個人的な事情に過ぎないが、幾つかの関わりのある催し以外に足を運ぶことを断念している私にとって、コンサートホールを訪れること自体、 都度ぎりぎりの選択なのは第8回定期演奏会の記録に記した通りなのだが、或る意味では当初意図した通りと言うべきか、結局私を後押ししたのは、 マーラーの音楽を演奏するためにコミットメントしているオーケストラの方々、とりわけても平常時であったとしても非常に大きな困難を伴うオーケストラの 運営に携わっている方々に対する私自身のコミットメントを、演奏に立ち会うことによって今一度表明すべきであるという判断であった。 従ってまず最初に、非常時の混乱を経て演奏会を実現させたジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの方々、音楽監督・指揮者の井上喜惟さん、 事務局の方に対する敬意を表することで感想を始めたいと思う。

そして以下に私が記すのは演奏会評の類ではない。それは演奏会に聴き手として立ち会った感想ではあるけれど、私は単なる消費者としてコンサートの チケットを購入し、古典となった作品の再現、再生としての演奏という無形の財を消費したとは考えていないし、コンサートホールで演奏を聴いている際の 心の動きとしても、そうすることができなかった。従って以下の記述は演奏や解釈に対する客観性を装った批評ではありえない。寧ろ私も コミットメントを行うことで、マーラーの第9交響曲の3.11以後のこの地における新たな生成を見届けたというべきなのだと感じている。そもそも私は マーラーに100年後の日本で向き合うことの意義自体、そうした関わりの裡にしかないと考えてきたが、第9回定期演奏会に立ち会った経験は、そうした 確信を裏づけ、一層深めるものであったと感じている。

*   *   *

過去にマーラーの第9交響曲の実演に接した時の印象は簡単ながら別のところに記したので繰り返さないが、自分の知人が所属する学生オーケストラによるその折の 演奏の印象、決して低くはない筈の学生オーケストラの技量をもってしても演奏至難な難曲であるというもので、残念ながらそのコンサートの記憶は、 私の場合には少なくない惨めな気持ちになった演奏会の一つである。そうした事情もあって、今日ではプロのオーケストラでなくてもマーラーを演奏するのは決して 珍しいことではないとはいうものの、マーラーの中でもわけてもこの第9交響曲は難曲であるという印象が私には抜き難くあったのだが、ジャパン・グスタフ・マーラー・ オーケストラの演奏は、精度の問題を超えて感動的なものであった。

前回同様楽章間のチューニングを挟んでの演奏だったが、第9交響曲の楽章配置は 基本的に遠心的なものであり、特に第1楽章の終りは通常の作品の全曲の終りに匹敵するほどの完結感を備えていることもあり、全く気にならない。 一方で指示こそないものの、一つには密接な動機連関により、更には調的な配置の効果により連続して演奏すべきである第3楽章と第4楽章は、 そのように連続して演奏され、結果として第4楽章はアドルノがそのマーラー論で語っている"künstlich roten Felsen"、「魔法にかかったように茜色に染まる岩」と 訳すのが適当と思われる、現地の言葉であるドロミテ・ラディン語で"Enrosadira"と呼ばれる現象、ドロミテ地方の日の出や夕暮れの陽の光に照らされて、 赤色、薔薇色、菫色などの色彩に変化する現象を強く想起させる、(私は音と色の共感覚を持っているので)明確な色彩を文字通り「見る」ことができる 演奏であったことは銘記されるべきかと思われる。(ちなみに"Enrosadira"については、 「ドロミテのマーラーの足跡を辿る―林邦之さんに―」という別の文章で 言及したことがあるので、詳細はそちらをご参照いただきたい。)

第4楽章の歌は感情に満ちた素晴らしいもので、特にMolto adagio subito以降の高潮は圧倒的で、オーケストラがいわば「入った」状態になっていることが感じられた。 ちなみに私にとって、ここの部分の途中Molto adagio subitoの指示から7小節目のヴィオラの下降音型は第8交響曲第2部の「引用」である。 練習番号170から171にかけて、かつてグレートヒェンと呼ばれた女が歌う部分の結びの音型と同じだからなのだが、ここはまさにファウストの復活を 歌う決定的な部分であり、この音型には"neue Tag"という言葉があてられていることを思い起こしていただきたい。これまた別の文章 (「ある日、第8交響曲第2部を聴いて」)に記したことだが、そもそも練習番号165番から始まるこのグレートヒェンの歌は、 楽章をまたがって、第8交響曲第1部の第2主題"Impre sperna gratia"の「再現」なのであって、それはマーラー自身が etwas frischer als die betreffende Stelle im 1. Teilと記していることからも明確なのである。その末尾が第9交響曲の第4楽章のこの部分でいわば「参照」 されていることは、一見したところ間に「大地の歌」を挟んで対極的な位置にあると見做されがちな第8交響曲と第9交響曲が共通した世界認識に 基づくものであることを示していると私は考えている。勿論違いがないわけではなく、ファウスト終幕の山峡は、ここではドロミテの風景なのであり、 この「参照」そのものが未来である第9交響曲からの「回顧」と見做しうるのだが、こちらは有名で必ず言及されるといっていい、もっと先での Kindertotenlieder第4曲の末尾"Der Tag ist schön auf jenen Höh'n"の引用が「子供たちのいる天国」を示唆するとしたら、 その子供達は第8交響曲の第2部でグレートヒェンとともにファウストの復活を歌う子供達(Selige Knaben)でもあるはずなのだ。 それはまた、まさに同じKindertotenliederの引用が実は既に第8交響曲にも現れていることからもいえるであろう (第1部練習番号22 "firmans"のところ、第2部練習番号79から4小節目のzurückhaltend "Die ew'ge Liebe"のところ)。 そしてこの日の演奏は、まさにそうした世界認識をオーケストラが己がものとした素晴らしいものであったと 私には感じられたのである。それは勿論、3.11で喪われた生命への思いとも重なるであろう「祈り」に由来するものに他ならないだろう。音楽の演奏は 或る種の「奉納」なのであり、演奏会は儀礼なのだ。3.11後のマーラーの第9交響曲の演奏は、そうした基本的な構造を再認させずにはおかない。

それに劣らず圧倒的だったのは、副次部分が「大地の歌」の「告別」の風景に変容した後の高潮を経て、Wieder zurückhaltendのviel Bogenによる あのシンコペーションの直後の主部再現(Tempo I. Molto adagio. (noch breiter als zu Anfang) )以降を聴いたときに私の意識の裡で生じた、 或る種の相転移的な変化である。普通に言えばこれは「再現」ということになるのだが、マーラーの「再現」が単なる反復ではなく、常に時間の厚みの 因果的効果のベクトル性を帯びて、それが同じものでありながら最早同一ではありえず、最早元に戻ることはできない非可逆的な過程の徴を帯びていること、 そして既述の第8交響曲第2部練習番号165の etwas frischer als die betreffende Stelle im 1. Teilもそうであり、あるいは別の例を挙げれば、第3交響曲第6楽章の練習番号26の Sehr Langsam. a tempo. (Noch langsamer als im Anfang)がそうであり、ここでもnoch breiter als zu Anfangといったように必ずテンポの変化の指示を伴うが 故の決定的な「再現」の感覚が生じることにおいては同じでありながら、 ここでは何かが 決定的に抜け落ちてしまい、後は(実際に音楽はそのように経過していくのだが)文字通り「解体」していくしかないことがここまではっきりと感じ取れたのは、 稀有な経験であった。

そうした音楽の経過は、ここでは主体のそれではない。あたかもそれを外から眺める別の視線があるかのように、音楽は 主観性を喪う。聴き手もまた、ここでは音楽を情緒的に受け止めることができなくなる。これまた有名なシェーンベルクのプラハ講演での発言に含まれる 第9交響曲についてのコメントにおける「非人称性」が決定的に露わになるのだ。それは「祈り」の向こう側にある沈黙なのであって、これを図像学的な 「死」の描写と見做すのは、「死が私に語ること」という言葉(それは少なくとも、第3交響曲の撤回されたマーラー自身の稚拙なタイトルの陳腐さの 模倣であって、その中においてすら件の「非人称性」の痕跡が残っているいる点でまだましなのに比べ、それ)以上にこの作品の固有性を損なう把握であり、 このコンサートにおける演奏が私に突きつけたものと縁遠い。マーラーをメガホン代わりに使った「誰でもないもの」(Niemand)は、だが消え去ることはない。 それは寧ろこの作品の優れた演奏がその度に呼び起し、再現する「幽霊的なもの」の出現なのだ。比喩的に言えば、ここにおいて主体は我に返って 覚醒するのだが、自分がいる場所が最早どこなのかがわからない、といった有様なのである。

勿論、その他の楽章の演奏も素晴らしかった(例えば第1楽章の有名な、アドルノのカテゴリーでいえば音楽が「崩壊」していく部分、 Plötzlich bedeutend langsamer (Lento) und Leise.のソロの協奏の部分など、幾らでも例を挙げることができるだろう)が、 指揮者の解釈の卓越を明確に印象づけられたのは、(前回の第7交響曲も類似のことに感銘を受けたのだったが)第2楽章のレントラーに おけるブロック毎のテンポの交替が、マーラーにおいては一貫している独自の調性格論的な色彩の変化と相俟って、意識の層の切替として 把握されていた点であろう。また第9交響曲は作曲者自身による初演を経ずに、 それまでの作品と比較すれば「未完成」といって良い段階の、一部は判読に困難が伴うような状態で総譜が残されたこともあり、 マーラーの総譜としては指示が少ないことが知られており、とりわけ第4楽章の予告でもある第3楽章の中間部以降のテンポ設定は指揮者によって 異なる部分であるが、ここでの解釈は基本的には少ない指示に忠実なもので、それがその後の主部の再現以降の段階を踏んだテンポの加速と 整合しており、指揮者の巨視的な楽曲把握の確かさを感じた。

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上述の、特に第4楽章を私が聴いたときに感じたようなことが明確に感受されるのは、マーラーを演奏することを 目的に集まったオーケストラの実現に接すればこそのことであろうと私には思えてならない。それは優れた演奏をCDで再生すればいつでも手に入るような 性質のものとは全く異質なものなのだ。CDを聴くときに感じられる「幽霊性」は過去の異郷の音楽の受容に如何にも相応しいもののように思える。 楽譜を読んで頭の中で音楽を鳴らすことも勿論できるが、それとは異なって、CDを聴く場合には録音技術と記録媒体に支えられた見せかけのもので ありながら、そうしたメディアの透明性があたかも「作品」そのものに向き合うこと可能にするかのようだ。一方で、今、ここでのコンサートでの実演においては、 他者は不在ではない。その場で空気を伝わる音響もそうだし、どんなに悲劇的な作品であったにせよ、良い演奏であれば寧ろ必ず存在するに違いない 「演奏することそのもののよろこび」を伴った演奏者の身体性、その音楽を聴くために集まる他の聴き手の存在とあわせ、私自身の コミットメントの志向もまた純粋な経験を汚染するかのようで、「作品」の聴取には不透明な影が付き纏う。

だがメディアの透明性が、再生の時間を可能にするとしたら、(少なくとも私にとっての)ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの演奏会の方は、 そうした不透明性が、生成の時間を可能にするということができるように思う。ここでいう再生とは想起のことであり、同一のもの、常に同じ過去の 反復である。現実には、それとて不透明な部分があり汚染されている筈なのだが、メディアの透明性が高ければ高いほど、あたかも「過去そのもの」を 覗き込むことが可能であるかのような回想を可能にするような錯覚が生じるに違いない。一方の生成とは、別のもの、異なるもの、未聞のものの 到来であり、それは或る作品に定着された風景を未来の「別の時間」へと移植することである。

そしてそのことが作品の創作についての事情、とりわけてもシェーンベルクがマーラーの第9交響曲について述べたような消息と並行している点に 留意しておきたい。作品の創作は自分がまのあたりにした「風景」を記録することだが、その「風景」は「私」が選択したものではなく、私の背後にいる 「誰か」(あるいは「誰でもないもの」)が命じたものであって、作曲者はいわば「カメラ」に過ぎないのだ。そうした一連の過程自体、主体的な意識の 働きのみによるものではありえず、非人称的なものに過ぎない。意識主体としての「私」は手段に、メディアに過ぎないのだ。 だが「私」が「風景」を見る仕方の「如何に」、「私」が「風景」を記録する仕方の「如何に」は決してトリヴィアルなものではない。メディアたるマーラーの 個性がもたらす不透明性こそが「価値」の源泉であり、それによって新たな仮想的な「風景」の生成が可能になるのだし、そのようにして定着された 「風景」の記憶としての音楽作品が「投壜通信」のように投じられ、時代と場所を越え、それを拾い上げた人によって繰り返し演奏されることによって (ここでは進化論的なミーム概念を適用することが適当かも知れないが)受け継がれていくのだから。

*   *   *

私は今、コンサートがあった週末の1週間後の週末の時点でこの文章を記しているが、とりわけ上で述べた第4楽章を聴いたときに感じた 印象は永続的なもので全く薄れていない。その一方で、改めて文章にしつつ整理を試みてもコンサートで受けた印象に含まれている 謎めいたものが全て解消したとは到底感じられない。演奏が私に突きつけてきたもの、私の裡に刻印されたものは、容易にありきたりの マーラーの音楽に関する解説で示されているような解釈を受け付けるものではないのだ。自分が受け止めたものを私はこの後も反芻しつつ 考え続けていかなくてはならない。そうすることが演奏に対する応答であり、聴き手にとっての義務なのだという感覚を私は抱いている。 そして同時にそれはまた、こうした音楽を残したマーラーに対する応答でもあり、如何に稚拙な仕方であったにせよ、私はマーラーからの贈与に対して 応答をしなくてはならないのだと感じている。このようなことを再認させる貴重な経験をさせて下さった井上さんをはじめとするジャパン・グスタフ・マーラー・ オーケストラの演奏者の方々に改めて感謝の意を表しつつ、今回の演奏会の感想の結びとしたい。(2012.6.30公開、7.1加筆)



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