グスタフ・マーラー Gustav Mahler (1860-1911)・人物像(2)証言


証言(マーラーの人と作品について)

ここでは、マーラーの人や作品についての証言のうち私の印象に残っているものを、少しずつ書き留めておきたい。 これらの多くは日本語で流布している。きちんと典拠が記されている場合もあるが、そうでない場合もあり、 ふと、「あれは一体誰がいつ言ったんだっけ?」と考えると、記憶に自信が持てる場合は思いのほか少ない。 そしてまた自分の経験では、いざ原文にあたろうとすると思いのほか困難である場合がしばしばあった。 専門の研究者であれば容易なこと(そもそも身銭を切る必要すら無いかも知れないのだから―勿論、それは その研究の価値が公的に認められているからであり、立派な業績を挙げてもらうためには、物理的にも経済的にも 容易でなくてはならないのだが、、、)であっても、市井の愛好家にとっては状況は全く異なるのである。
そればかりか、こうした状況は意図的に作り出される場合もあるようだ。例えばシュライバーの著作を例にとれば、原作は Rowohlt社の伝記叢書のシリーズの一冊に収められていて、いわゆる新書サイズの体裁で200ページ足らずの本だが、 豊富な図版とともに、引用にはきちんとすべて出典が付けられ、簡単ながら索引もついている上に、文献目録も完備したものである。 この叢書が「一般の読者向け」かどうかの判断は控えることにするが、とにかく邦訳では、「一般の読者には不要と思われる」という 判断の下に、文献表と引用の出典が記された注はすべて割愛されてしまっている。恐らくはどうせ「一般の読者」には翻訳もない 元の文献など参照できないだろうということなのだろう。あるいは、それだけの能力があるなら翻訳など読まずに、シュライバーの 原著にあたれば良かろうということなのかも知れない。「一般の読者」の一人としては、自分の目の前に意図して高く張り 巡らされた壁の前で嘆息するほかない。確かに専門に研究をされている先生と、「一般の読者」の間には、歴然とした溝があるに 違いない。それにまあ、私如きが多少、マーラーについて何かを知ったところで何の役に立つわけでもないので、仕方ないのではあるけれど。
だが、全ての人がそうであるとは限らないし、実際、自分で探してみるとわかるが、音楽に関する文献の出版・流通というのは 甚だ頼りないもので、こんな基本的なものが、と思うようなものでも実際に自分の目で確認するのは結構大変な場合も多い。
そもそもマーラーのような過去の人間についてなら、今の世の中、著作権の切れた基本的な文献はWebで参照できるように するとか、できることはありそうだし、実際例えば海外では論文のアーカイブがあったり、オーストラリアのGutenberg Projectで、エンゲルの 草分け的なマーラーについての著作(アメリカでは初のモノグラフではなかったか?)を自由に読むことができたりはするし、 マーラーが曲をつけた歌詞についても、ほぼすべてをWebで閲覧できるようになっている。そこで、「一般の読者」の一人として、 せめて自分の悪戦苦闘の記録をWebで公開することにより、同様の関心をお持ちの方がもし居た時に、 同じ面倒を味わうことが少しでも少なくなるようにすることにしたいと思う。学術的にきちんとしたコーパスは、相応の訓練を 受けた学者が作るべきであって、「一般の読者」にはそもそもその資格はないだろうし、ここでの意図も勿論、そんな大それたもの ではない。興味本位で疑問に思ってあたった記録を残しておこうという、ただそれだけのことに過ぎないが、それでも、最初に 述べたような事情で、こうした取るに足らないことでも、主観的には全く無意味ということもない。私は頭が悪くて記憶力も無いので、 書き留めておかないとすぐに忘れてしまうのである。
従って、備忘の意味でここでは、可能な限り原文を典拠とともに記載しておきたいと思っている。ただし実際には、よく調べてみると典拠が判然としない場合や、 事実関係が明らかでない(文献によって記述が異なる)場合が非常に多いので、その場合には、気づいた矛盾や疑問点を書き留めておくこととする。

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(2007年5月作成)