マーラーの指揮者としての仕事ぶりについてはさまざまな証言が残っているが、その中には一緒に仕事をする人間に対する厳格で、時折過酷ですら ある態度に関するものも数多く含まれる。上記のヴァルターによる証言は、マーラーを擁護する立場から書かれているから、マーラーの態度を不当である と糾弾しているわけではないが、マーラーに関して好意的に思わない人間が幾らでもいそうなことは、この文章からでも容易に読み取れるだろう。 勿論時代的なファクターもあって、今日では通用しないようなやり方もマーラーの時代にはごくありふれた風景であったかも知れないし、マーラーの場合には とりわけユダヤ人であることに起因するバイアスがあることもまた確実だ。だがそれでもなお、マーラーが時としてかなり問題のあるやり方をしたらしいことは、 様々な証言が伝えている通りである。
マーラーが歌劇場の監督として、指揮者として達成したものの評価については概ね高い評価が為されているが、そのことを勘案してもなお、その達成の 背後にある「職場」での人間的な軋轢、葛藤の類が帳消しにされることはない。それを「一将功成りて万骨枯る」式に否定的に受け止める見方だって あるだろうし、逆にそれが達成したものの価値の否定に繋がれば、それには違和感を感じはしても、基本的に共同作業である歌劇の上演やコンサートでの 演奏がマーラー一人で達成されたわけではないのは当然のことであって、事実としてその達成を支えた人の全てが記憶されているわけではないからには、 「一将功成りて万骨枯る」にも一定の正当性があると言わざるを得ないだろう。この点については今日の、もっとありふれた別の種類の組織でも風景は 変わることがないに違いない。マーラーみたいなタイプは程度の差はあれ、いつでも、どこにでもいて、毀誉褒貶が半ばすることもまた同じなのだ。 何かを達成することが要求されている組織にとっては必要悪だという言い方もできるかも知れない。
マーラーは欠点が多い人間であったというべきだろうし、少なくとも円満でバランスの取れた人間ではなかったのは確かなようだ。そしてその欠点が 時として致命的なまでに対人関係を損ない、組織としての成果の達成の妨げになったことだってあるだろう。勝率10割は、どんな領域においても 不可能だし、あげつらおうと思えば、どんな達成に対してだって瑕疵を見つけて批判することは可能だろう。その点でマーラーは恐らく、その巨大な才能に 見合う程度には支持者、擁護者にも恵まれていた。例えば別のところ(原書1981年Noetzel Taschenbuch版p.111, 邦訳p.203)でヴァルターが 以下のように述べているのは印象的である。見た目は控えめな擁護だが、自分の力量と価値をきちんと把握していたに違いない、にも関わらず、 時折自分の感情や振舞いをコントロールできなかった、有能でありながら欠陥ある職業人であったマーラーにとって、このように後世に伝えてもらえることは この上ない、恐らく最大の賛辞に匹敵するのではなかろうか。(2008.11.16)
(...) der im Herzen Gütige konnte hart und beißend, heftig und jähzornig, kalt und abweisend sein; aufrichtig war er jedenfalls immer. (...)
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