メンゲルベルクが1939年9月にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した第4交響曲の演奏の記録が残っている。フィナーレのソプラノは ジョー・ヴィンセント。当然モノラルだし、音質も細かいニュアンスを聴き取るのには些か辛いくらいのものだが、終演後の拍手も収められたコンサートの ライブ録音であり、演奏が持っていたであろう雰囲気は読み取れるように思えるし、コンサートホールの空気もまた、ある程度は感じ取ることができる。
マーラーに関する伝記的な書物を読んだことがある人なら、メンゲルベルクが生前のマーラーに如何に信頼されていたかは周知のことだろうし、没後の1920年5月には自らの コンセルトヘボウ管弦楽団指揮者就任の25周年を記念して「マーラー祭」を開催し、全管弦楽曲を次々と演奏したということもまたよく知られているだろう。 第4交響曲ということでいえば、アルマの回想録にも休憩を挟んで第4交響曲を2回演奏するコンサートを1904年10月23日に企画し、1度目はメンゲルベルクが、 2度目はマーラーがタクトをとったことを知らせる書簡が収められている。自身時代を代表する大指揮者であったマーラーを直接知る世代の指揮者としては ヴァルターやクレンペラーが有名だが、年齢的に言っても、実質においても彼らはマーラーに対して弟子とか部下といった関係にあったので、メンゲルベルクと マーラーとの関係と同列に論じることはできないだろう。(マーラーの生前に彼ら自身がマーラーの作品の演奏を活発に行ったかどうかを考えてみれば良い。) 中間的な位置にいるのがオスカー・フリートで、マーラーの生前からマーラーの作品の演奏はしていたようだし、没後になるが、マーラーのレコード録音としては 最初の録音を1924年に行っている(曲は第2交響曲。ちなみにそれに続くのが、1928年のかの有名なレーケンパーとホーレンシュタインの子供の死の歌である)。 だが書簡などを見る限り、マーラーの評価のメンゲルベルクに対する評価は例外的なもので、フリートとマーラーとの関係もまた、メンゲルベルクとマーラーの それとは比較にならないだろう。
話を「世界初録音競争」ということにしてしまえば第4交響曲の勝者は近衛秀麿と新交響楽団 (独唱は北沢栄)だし、そもそもこのメンゲルベルクの演奏記録が世の中に出たのは戦後もかなりたってからのことなのだが、そんな比較にさしたる意味があろうはずもなく、 要するに演奏記録が残っている指揮者の中でメンゲルベルクの占める位置は例外的なのだ。寧ろ私は、マーラーがピアノ・ロールに遺した自作自演(勿論 ピアノ編曲だが)の中にも第4交響曲を締めくくる歌曲「天国の生活」が含まれ、不完全ながらもこの第4交響曲でメンゲルベルクとマーラーの揃い踏みを 1世紀後に再現することができることに些かの感慨を抱かずにはいられない。
一方、1939年にヨーロッパがどのような情勢であったかを知識としてであれ確認することは、このコンサートの記録の歴史的な位置づけを知る上で意味あることだろう。 ヒストリカルな録音ということでいけば、1938年1月16日のヴァルターとヴィーン・フィルによる第9交響曲のコンサートでの演奏の記録も有名だろうが、その日付が ヒトラーによるオーストリア併合の僅かに2ヶ月前であることを確認することもまた、意味ないことではなかろう。ヴァルターの演奏のレコード録音が送られた先も、 ヴァルターが3月13日にアンシュルスを知ったのもオランダでのことであったが、そのオランダもまた1940年には占領され、政権は亡命することを余儀なくされるのである。 ドイツではすでに1937年の12月にユダヤ人の音楽活動をドイツから排斥する法令が出されている。当然マーラーの音楽の演奏は「御法度」になっていた。 戦後メンゲルベルクはナチス協力者として指揮活動を禁止され、その禁止が解ける前の1951年3月22日に没してしまったのはあまりに有名なことだが、 オランダにおいてとはいえ、1939年の時点でマーラーの交響曲を採り上げるというのが、恐らくはぎりぎりの選択であったことは想像に難くない。 (そういえば不幸なことにコンサートの途中で起きたハプニングもろとも記録されていることで有名なシューリヒトがコンセルトへボウ管弦楽を指揮した「大地の歌」の コンサートも同じ年のこと、しかもそれは病気でキャンセルを余儀なくされたメンゲルベルクの代役として演奏会であった。)
この有名な演奏記録に関してはすでに多くのことが語られているし、私の感想を付け加えることになど意味はないだろうと思うのだが、その一方で、 この演奏記録を聴いて感じられるのは、ロマン主義的な時代がかった解釈であったり、熱っぽい思い入れであったりではなく、寧ろ緻密でかつ 包括的な形式の把握に基づく知的な側面であり、しかもそれはソナタ形式を図式的に捉えて曲に押し付けて、はみ出た部分を逸脱として 整除してしまうのではなく、寧ろこの音楽の持つ独特の形式感を巧く捉えているように感じられたことは書いておきたい。こうした把握は時代の流行の スタイルのようなものとは別の次元にあるようで、ある時代の演奏には一律欠如していて、近年の演奏には備わっているといったような議論を 受け付けないものと私には思われる。勿論、正解が一つあるというものではないだろうし、そうした「傾向」の分類をしたら別のカテゴリに入れられてしまう 2つの演奏が、それぞれ違っていながら独特の形式把握を示していて、同じカテゴリの他の演奏とは異彩を放つ、というようなことさえ起こりうるのではないか。
もう一つ、指揮者のメンゲルベルクもさることながら、1939年当時のコンセルトヘボウ管弦楽団には、恐らくマーラーを知る演奏者がまだ少なからず居たに 違いない。マーラーは上述の1904年のコンサートだけでなく、何度もアムステルダムを訪れて指揮をしている。私にはそれを調べるだけの余裕がないが、 マーラーの自作自演を創り上げた奏者がこの1939年の演奏にも恐らくは参加しているのではなかろうか。マーラー自身とメンゲルベルクによる演奏の伝統が この演奏には息づいているに違いないのだ。メンゲルベルクがマーラーを演奏している回数は1920年4月までで200回を超えたというパウル・シュテファンの 報告が遺されているが、そのすべてがコンセルトヘボウとのものではないにせよ、かなりの回数をコンセルトヘボウ管弦楽団が演奏しているのは間違いない。
そしてその伝統は今日まで引き継がれているに違いないのだが、ことマーラー演奏に関しては、ベルリン・フィルは勿論、ヴィーン・フィルですら、そうした「記憶」を保持しているとは言い難いだろう。 (そのかわりウィーンのオーケストラはマーラーの音楽の背景をなず層についての「伝統」は持ち合わせているのだろうが。)バルビローリのベルリン・フィルとの 演奏記録など、これはこれで出会いの新鮮さによるのかも知れない或る種の昂奮や緊張が感じられて素晴らしいのだが、一方で明らかに弾きなれていないが ゆえの傷も少なくない。一方、コンセルトヘボウ管弦楽団について言えば、第二次大戦の中断を無視することはできないにしても、やはり些か事情が異なって そこには或る種の伝統と呼びうるかも知れない記憶とその継承があるのではなかろうか。
それに比べれば、近年のオーケストラにとってマーラーは最早未知のレパートリーではないのだろうが、そこにはある時期までのコンセルトヘボウ管弦楽団の 演奏にははっきりと感じ取れた記憶もなければ、出会いの新鮮さもないように感じられてならない。演奏技術は上がり、録音・再生の技術も上がり、 それゆえ録音を通しても、微細なニュアンスの変化が感じ取れるようになったと言われるし、確かに微に入り細に入った解釈や演奏が繰り広げられているのだろうが、 そこには録音の限界を超えてメンゲルベルクの演奏からかくも濃厚に伝わってくる何かが欠けているように思えてならないのである。
メンゲルベルクの演奏は、一部の評者が言うような「細部の彫りの浅い」(喜多尾道冬)、あるいは「一つ一つの音のニュアンスということに関しては、 残された録音の音質の悪さを差し引いて考えても、十分な表現を行っていたとはいい難い」(渡辺裕)演奏なのだろうか。後者の論で対比される演奏の代表格は、 これまた私がよく聴くインバルの演奏なのだが、インバルとメンゲルベルクの演奏に違いがあることは勿論のこととして、その違いの内実が上記のような メンゲルベルクの演奏への評価を一方の前提とするようなものなのかについては私は留保したいように感じている。 後者の議論に沿って言えば、インバルの演奏が近年の解釈の行き方の特徴のあるものを典型的に具現しているということは認められても、 「音の表情の復権」という言葉に集約されるらしい「ポストモダン」時代の演奏が、マーラーの意図をようやく闡明しえたとする主張には何かひっかかりを 感じずにはいられないし、インバルの演奏が確かに指摘されるような特徴を備えているのは確かであるにしても、それだけではインバルの演奏が備えている 或る種の質を捉えたことにはならないように思えてならないのだ。それはインバルの演奏を批判する評言の定型である、細部のリアリティと引き換えに、 毒気のないものになっているという意見と実はあまり隔たっていないのではなかろうか。(こういうからには勿論私はインバルの演奏を、そのようなものとは聴いて いないのだが。)
マーラーの音楽にとって、いわゆるセカンダリ・パラメータと言われる次元が重要であることには異論はないのだが、にも関わらず、何か分類の軸が ずれているような、パースペクティブが歪んでいるような感覚を抑えることができない。改めてメンゲルベルクの演奏を何度か聴いてみたが、結果は寧ろそうした 違和感を強めることになったように感じている。「ポストモダン」時代の演奏の特徴として一括りにしてしまうと落ちてしまうような次元こそが、私がある演奏を 聴いて惹きつけられるポイントであるのではないかと思えてならないのだ。そもそも音色のようなパラメータを独立の次元として取り出して操作するのは、 それ自体寧ろモダニズムの伝統の流れの裡にあるのではないのか、今日の「知的」な解釈は、寧ろマーラーの音楽の巨視的な形式、その特異な 流れのプロセスに背を向けて、局所的な、そしてその限りではアピールしやすい特徴によって差別化を図るようなことになってはいないだろうか、といった 疑念を振り払うのは難しい。
そうした傾向は至って現代的なものには違いなく、そういえばどこかの複雑系の研究者が怪しげなアナロジーを振り回しながら、ケージの 音楽を称揚しつつ「ストーリーテリングからテクスチュアへ」などといったコピーを振りまいているのを見かけたりもするし、同様にケージの音楽をはじめとする論者お気に入りの 幾つかの「現代音楽」が持っているらしい時間性とやらをもって伝統的・ロマン主義的な音楽の時間性を批判するような論調も目にしたことがある。 勿論そうした論陣にとってはマーラーなど過去の遺物であって、最早賞味期限の切れた存在なのかも知れないが、生憎私は、彼らが顕揚するテクスチュアやら 根源的な音自身の本当の時間とやらよりは遙かに多くのものをマーラーの音楽から受け取っているし、始まりや終わりを否定すること(それがいとも容易いのは 判りきった話ではないか、、、)よりも、どのように始め、どのように終わるかについてのマーラーの飽くなき探求の道行の方が遙かに刺激的に感じられる。 だからというわけでもないだろうが、ある時期以降のマーラー演奏に顕著な、磨き上げられたディティールと多彩な音色としなやかな旋律を備えながら、ちっとも 音楽のプロセスが見えてこなかったり、逆にあまりに見え透いたプロセスに縮退させられているかのような方向性については、そちらはそちらでマーラーの音楽の 持つある側面だけを自分の都合の良いように利用しているだけなのでは、と思えてならないのである。そう、多分マーラーを聴くことは今日において、 レヴィナスが言うような意味合いで「アナクロニック」な営みなのではないかとさえ思えるのだ。
そもそも演奏の類型論のようなものの危うさは、テンポの変化であるとか、演奏時間の長さといった、誰にでもわかる、そして実は定量化しようと 思えば比較的容易にできるような分類軸を用いることが多く、そこに時代の様式の影響や、伝統の有無、民族性といった要因を絡めた議論になる傾向にある。 その限りでは、直感的で裏づけを欠いているかに見える印象批評も、データを駆使した分析も実はあまり変わることがない。だが、果たしてそうした次元のみで ある演奏が心に訴える所以を説明できるのだろうか、という疑念は拭い難く存在する。否、ごく単純に言って、私が感動を覚える幾つかの演奏の間には そんなに単純な共通点など見出せない。それぞれがユニークであり、異なった視点からマーラーの音楽の持つ途方もない複雑さに光を当てているように 思えるのである。
勿論、時代の一般的な傾向を論じ、社会と音楽との関係を浮び上がらせるのが音楽社会学の仕事なのだろうし、だから私がぶつぶつ言っているような 違和感を訴えるのはお門違いなのだろうとは思う。だが、もしそうだとしたら、音楽社会学とは結局音楽の何について論じていることになるのだろう、 音楽はそれ自体、或る種の素材に過ぎないのだろうか、という疑問は押さえ難いし、そうした疑問は、音楽社会学としては、それはそれでマージナルな 位置にいるのであろう、アドルノの議論に対してもふと感じる瞬間がある。その一方で、マーラーの音楽を語る適切な「言語」を用意するという観点で アドルノは大きな寄与をしていることは明らかに思えるのに対して、演奏解釈についての議論の方の寄与については、少なくとも現時点での私には 明らかではない。だが、メンゲルベルクの演奏に備わっていると思われる或る種の質、恐らくは「伝統」とか「記憶」とかに基づいているのであろうそれが、にも関わらず それらを扱うべき領域であるはずの歴史学的な、あるいは社会学的な説明には還元できないものなのではないかという感覚の方は はっきりしたものなのである。多分本当に大切なのは「伝統」やら「記憶」の内容よりも、それらを支える動きなのではないか、そしてそうした運動の伝播は 時代と場所の隔たりを超えて起きるものなのではないか。メンゲルベルクの第4交響曲の演奏記録は、そんなことを私に感じさせた。(2009.5.23/12.3)
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